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COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】2023/09/05

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

 10月8日より、4都市をめぐる全国ツアー「COWCOW 30th LIVE」を開催するCOWCOW。インタビュー後編では、多田健二さん、善しさんのお二人に、上京後、転機を迎えるまでの「不遇の時代」や、今年開幕した新たなお笑い賞レース「THE SECOND~漫才トーナメント~」に出場して感じた現在の本音を語ってもらった。(前編はこちら:https://www.tvguide.or.jp/feature/feature-2409472/

決勝進出を果たせず終わってしまった「M-1」、そして訪れた「不遇の時代」

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

――上京したのはいつですか?

多田 「2001年に上京しました。ちょうど『M-1グランプリ』が始まった年です」

善し 「春ぐらいでした」

多田 「新人賞を二つ取っていて。上京が決まった後に三つ目の新人賞を取らせてもらったんですけど、大阪で活動していたその頃は、ちょこちょこ大阪のテレビにも出させてもらえるようになり、単独ライブもなんとか埋まるようになり…。ちょっといい感じといいますか。そうなると『東京にも行きたい』という欲が出てきまして。そんな時、お世話になっていた社員さんが東京に新しくできる劇場の支配人をやられるということで、『来るんやったら今やぞ』と。それがルミネtheよしもとで、ありがたいことに出番も多く、新喜劇にも三つくらい入れていただいたんです」

善し 「バイトをしなくても生活できるくらい、舞台の数をいただけて」

多田 「すごく恵まれていたと思います。ただ、その年に始まった『M-1』では準決勝止まり。『あれ? いけんかったな…』と思って。次の年、2002年も準決勝止まり。で、ラストイヤーの2003年も準決勝止まりで。やっぱり劇場も『M-1』で活躍した芸人さんを出番に入れるようになるので、あれだけいただいていた劇場の出番も減っていき…。不遇の時代の始まりでした」

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

――転機となったのは「あたりまえ体操」ですか?

多田 「そうですね。でも『M-1』が終わったのが2003年で、『あたりまえ体操』ができたのが2011年なので、結構長いんですよ(笑)」

善し 「8年くらいか(笑)」

多田 「『M-1』のラストイヤーが終わってからは、なんかもう、僕がやさぐれてしまって。伊勢丹の紙袋柄のスーツも着てたんですけども、『M-1』もいけなかったのに、『M-1』で着てた衣装を着るのがなんかもう嫌になってしまったんです。それで伊勢丹の衣装を脱いで、頭にラインを入れたりネックレスをしたりして、格好つけてた時代がありました(笑)。そしたら2007年くらいに、パンクブーブーの黒瀬(純)から『あの伊勢丹の衣装、もう着ないんですか? 多田兄(ただにい)はあの衣装が一番合ってると思いますけど』と言われて。同じ頃、今田耕司さんからも『COWCOWはあともう少しやねんけどなぁ。タカアンドトシみたいに、衣装みたいなことちゃうか』と言っていただけて。タカトシが『タカトシライオン』で注目されていた頃だったんです。そういうのが重なって、『あの伊勢丹の衣装、もう1回着てみよか』と」

善し 「僕はいつもの、普通の衣装着てました(笑)」

多田 「そこから『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“劇場番長”という企画に呼んでいただいたり、それを見た『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)のスタッフさんが“劇場番長”のキャッチフレーズをそのまま使ってくださったりしたんです。2008年頃にはお笑いブームが来て、『爆笑レッドカーペット』や『エンタの神様』(日本テレビ系)にもちょこちょこ出演させてもらえるようになって。2008年から単独ライブを始めるんですけど、お客さんも結構来てくださって、『いい感じやな』と」

善し 「初回から、ありがたいことに結構埋まって。僕はというと、2003年に『M-1』が終わって、2004、2005年は何も目標がなくなったので、『秒殺』というギャグだけをするライブを開催したりしました。そんな中、自分の能力のなさを痛感したことがあって…。相方が笑福亭笑瓶さんの眼鏡を取りに舞台からはけている間、僕が1人でつながないかんのですけど、『1人で舞台立っても何もできへんやん』って。『これはアカンぞ』と思った時、後輩が『R-1ぐらんぷりいいですよ。バンジージャンプよりドキドキしますよ』って言うんです。『M-1』の出場資格を失って何もチャレンジするものがなくなった芸人にとって、当時は『R-1ぐらんぷり』しかなくて。2006年から『R-1』に挑戦するようになって、2008年からは4年連続で決勝に進出できました」

「THE SECOND」に挑んだ期間は「たまらなく、かけがえのない時間」

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

――取材の冒頭でも、今年開幕した新たなお笑い賞レース「THE SECOND~漫才トーナメント~」の存在について触れていらっしゃいましたが、あらためて「THE SECOND」についても聞かせてください。なすなかにしさん、超新塾さんと対戦されましたが、大会を終えた今の、漫才や賞レースに対する思いを教えていただけますでしょうか。

多田 「毎年単独ライブもやっているので、ずっとネタは作ってきたんですけど、賞レースのためのネタ作りということはしていなかったので、ネタ作りに対する意識は今年ちょっと変わりました。『THE SECOND』って、勝ったら次の対戦が1カ月後というスケジュール感だったんですが、その次の対戦までの1カ月が、なんか苦しくもすごく楽しかったんです。『うわ、次また1カ月後や。どのネタしよう』って話し合ったり、周りが『勝ち上がってるね、頑張ってね』って声をかけてくれたり。あの期間がね、たまらなく、かけがえのない時間というかね(笑)。それがね、なんかすごく楽しくて。もちろん決勝にいけたらよかったんですけど。『また決勝にはいけへんのかい』って感じではあったんですけど、楽しくていい時間だったんです。来年大会があったとして、まだ出るかは決めてないですけど、出るのであれば今から準備をしとかないといけないので。ちょっと意識したネタ作りをしているかなという感じです」

善し 「僕も楽しかったですね。僕、いつかそういう大会が始まるんかなっていうのは心の隅にあったんですよ。だから発表された時は『ついに来たか』と。その報道は携帯のニュースで見たんですけど、見た瞬間に『やりたいな』って思ったんです。インスピレーションで『これはやるしかない』って。『あたりまえ体操』のほかにもギャグやったり、モノマネやったりしてきたんですけど、舞台に立った時の、僕らの主軸は漫才。過酷なルールやなとは思ったんですけど、キャリアはあるし、発表できるネタもあるんで、『チャレンジしたい』って思いました」

――「THE SECOND」のネタ時間は6分でした。

善し 「『M-1』は4分で、劇場出番はいつも10分。この6分というのがね、なかなかにいい時間だなって。ルミネでは11分、12分になることもある中、ネタを精査していく作業は大変やったんですけど、こういう機会がないとやらないですから。一呼吸、一呼吸をどんどん精査していく細かい作業をして、あらためてネタを見直すことができたなって。決勝にはいけなかったですけど、いい時間でした」

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

――学生時代の出会いから「THE SECOND」まで、たくさんのお話を本当にありがとうございました。最後に、出会った当時から「相方の一番変化したところ」はどこだと思いますか?

多田 「やっぱり見た目ですかね。出会った時と比べたら、そりゃね(笑)。逆に言うと、それ以外ホンマに変わってないと思います」

善し 「相方は生活環境しか変わってないですね。組みたての時は大阪に出てきて1人暮らしで、今は家族がいてっていう。そこのみじゃないですかね、変わったのって」

――お二人の関係性も、30年前と変わらず?

多田 「関係性はね、友達というところからやっぱり変わりました。『あの頃と変わらず、友達です』という答えで締めたいところではあるんですけど(笑)。昔は『健二』と『よし』って呼んでたんですけど、今はお互い『自分』なんで」

――「自分」?

多田 「相方がある日、僕のことを『自分』って呼んできたんですよ。じゃあ僕も、って相方を『自分』って呼ぶようになって(笑)。見た目と生活環境は変わりましたけど、でも呼吸といいますか、ノリといいますか。2人でいる時は、昔のままでいきたいなという思いですね」

善し 「変わってなさすぎて、笑ける時あるんですよ。『50手前で、18とか二十歳そこそこの時と何も変わってないやんけ!』『これ、まだやってんのか、俺ら』って(笑)。リハーサルやってる時とか、ふとわれに返って思ったりしますよ。でも、僕らは50歳になったからどっしりするなんてことはできないと思うんで。僕はもうずっと、お楽しみ会の延長やと思ってます」

多田 「へへへ(笑)」

善し 「中学時代のあの日の延長っていう感覚なんですけど、それをお客さんはお金を払って、チケットを買って見に来てくださっている。お客さんが来てくれるからこそできることやなって。ただ、お客さんには『クラスのちょけたやつらがなんかやってるな』くらいの感じで見に来てくれたらうれしいですね(笑)」

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】
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COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

【プロフィール】

COWCOW(かうかう)
多田健二(1974年8月8日生まれ、大阪府枚方市出身)と、善し(1974年10月19日生まれ、大阪府枚方市出身)が中学時代に出会い、高校卒業後、共に大阪NSC12期生として入学。93年4月、コンビ結成。2001年より、活動拠点を大阪から東京に。98年、「第19回ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞、99年、「NHK新人演芸大賞」大賞受賞、01年、「第36回上方漫才大賞」優秀新人賞受賞。15年、「歌ネタ王決定戦」優勝。11年、「あたりまえ体操」で大ブレーク。14年にはインドネシアで「あたりまえ体操」が流行。日本語以外に、インドネシア語、英語、韓国語などでさまざまな楽曲を公開し、TikTokのフォロワーは120万人を突破。23年には結成30周年を迎え、10月8日の愛知・名古屋公演を皮切りに、「COWCOW 30th LIVE」を全国4都市で開催する。

【公演情報】

COWCOW「僕らの主軸は漫才」。「お楽しみ会の延長」で共に歩んだ30年【ロングインタビュー後編】

「COWCOW 30th LIVE」
①10月8日(日)愛知・今池ガスホール(午後6:00開場/午後6:30開演)
②11月4日(土)福岡・よしもと福岡ダイワファンドラップ劇場(午後6:00開場/午後6:30開演)
③11月25日(土)東京・ルミネtheよしもと(午後7:00開場/午後7:30開演)
④12月17日(日)大阪・なんばグランド花月(午後7:00開場/午後7:30開演)

取材・文・撮影/宮下毬菜



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