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石橋貴明、作詞家・松本隆と念願の初対面2020/08/24

 フジテレビで放送中の、石橋貴明がMCを務める「石橋、薪を焚べる」(火曜深夜0:25、関東ローカル)。同番組では、8月25日、9月1日(8月25日は深夜0:35)の2週にわたって、松本隆がゲスト出演する。

 松本は言わずと知れた、日本を代表する作詞家。1975年に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)のヒットにより注目を浴び、81年には「ルビーの指環」(寺尾聰)が第23回日本レコード大賞を受賞し、ほかにも松田聖子、薬師丸ひろ子、KinKi Kidsなどに詞を提供し、ヒット曲の多さは数知れず。2017年には秋の紫綬褒章を受章し、今年、作詞家活動50周年を迎える。

 かつて、同局の「石橋貴明のたいむとんねる」で松本の特集を組んだほど、その詞が大好きな石橋。石橋の熱いラブコールに応えて、今回のゲスト出演がかなった。初対面の2人からは、果たしてどのような話が飛び出すのか。

 東京・南青山に生まれ、西麻布で育った松本は、中学時代にザ・ビートルズの曲を聴いたことがきっかけで、音楽の世界観が変わったという。そして大学時代、日本語歌詞をロックに乗せた先駆的なバンド・はっぴいえんどを結成。メンバーは細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂で、松本はドラムを担当した。しかし、はっぴいえんどは活動期間わずか3年ほどで解散してしまい、あることがきっかけで作詞家の道へ足を踏み入れた。そのきっかけが語られる。

 作詞家に転向した松本は、「夏色のおもいで」(チューリップ)、「ポケットいっぱいの秘密」(アグネス・チャン)、そして「木綿のハンカチーフ」など、続けざまにヒットを飛ばす。順風満帆だったように見えるが、松本は当時はそうでもなかったと答える。

 以降、次々とミリオンセラーを世に送り出した松本は、「スニーカーぶる〜す」(近藤真彦)、「ルビーの指環」、「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ)など、そのあまりのバリエーションの豊富さに、石橋は「松本さんの脳の中はどういう引き出しになっているんですか?」と問いかける。そして、松本が「(ずっと)この人と戦うんだろうな」と意識したライバルについても言及する。

 81年に「白いパラソル」で初めて松田の楽曲の作詞を手がけた松本は、その後も詞を書くことになり、特に「赤いスイートピー」は、当時アイドルNo.1だった松田の転機となり、代表曲にもなった。その誕生の裏側には、はっぴいえんど時代のある体験が生かされていたという。

 そんなふうに70~80年代と駆け抜けてきた松本だが、90年代に入ると突如、詞を書くことを辞めてしまう。そして7年のブランクの後に書いたのが、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」だ。この曲は松本自身最大のヒット曲となる。「81年のキャリアハイを97年に(自ら)またキャリアハイにするっていう!」と驚く石橋に、「そう」とさらりと応える松本。作詞家としての電源をオフにした理由とは? 

 さらに、ブランクの時の生活、今までで一番うれしかったことや、そ元はっぴいえんどのメンバーでもあり、数々のヒット曲を共に生み出した大滝との思い出や、“天才”だと尊敬する筒美京平との楽曲作りの秘話も明かす。


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