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土井善晴が「おかずのクッキング」最終回を収録。「この番組のおかげで、今の自分がある」2022/02/13

土井善晴が「おかずのクッキング」最終回を収録。「この番組のおかげで、今の自分がある」

 3月26日の放送で48年の歴史に幕を下ろすことが発表されている、テレビ朝日の長寿料理番組「おかずのクッキング」(土曜午前4:55)の最終回の収録に、土井善晴氏が臨んだ。

 「おかずのクッキング」は、善晴氏の父である料理研究家・土井勝さんがメインを務めた「土井勝テレビお料理教室」として1974年4月に放送スタート。当時は月~金曜夕方の5分番組で、勝さんの優しい関西弁と家庭料理のレシピが人気を集めた。

 善晴氏は、88年4月に当時31歳で番組初出演を果たし、93年春からは番組を引継ぎ、その時代の暮らしにあった日本の家庭料理を追求してきた。2000年10月以降は毎週1回・25分番組というスタイルになり、さらに15年の夏からは日本の家庭料理のかたちを見直す“一汁一菜”の提案をたびたび発信していた。

 最終回で紹介する料理は「せりの菜飯、筍のお吸いもの、だし巻き卵」という、シンプルながら爽やかな“春の一汁一菜”。冒頭、善晴氏は「今日が“最後の晩餐”ですからね、皆さん。…これ、言おうと思っていたんですよ(笑)」とニヤリ。いつものようにジョークを交えながら、米のとぎ方、だしの取り方など家庭料理の基本から丁寧にレクチャーした。

 また、だし巻き卵をふわっと焼き上げる手順の中で、卵をかえす要領を教えるところでは「そう簡単にはできませんよ!」と難しさを強調しつつ、「でも、時々やっていたらできるようになる。それが人間のすごいところなんですよ」と、料理する人を励ますような言葉を送った。

土井善晴が「おかずのクッキング」最終回を収録。「この番組のおかげで、今の自分がある」

 番組の最後、アシスタントの堂真理子アナウンサーから花束を贈られた善晴氏は「最初はカメラに向かってほほ笑みかけることができなくて、アナウンサーの人はすごいなと思っていたんです。それが34年やってきて、最近ようやくできてきたかなと思います」と満面の笑みを浮かべ、「とにかく“一汁一菜”で皆さんが元気に幸せになって、自分たちらしい豊かさを作ってほしい。料理を作って食べるという基本に本当の幸せがあると思います」と視聴者へメッセージを伝えた。

土井善晴が「おかずのクッキング」最終回を収録。「この番組のおかげで、今の自分がある」

 番組収録が終わると、放送48年の歴史をたたえるセレモニーが行われ、過去にアシスタントを務めた渡辺宜嗣、藤井暁、櫻井健介、久保田直子アナウンサーなど番組にゆかりのあるメンバーが集合。思い出を語り合った。

 中でも最も盛り上がったエピソードは、渡辺が起こした“舞茸事件”。アシスタントに就任した時、料理経験ゼロだった渡辺は、善晴氏から舞茸をほぐすよう頼まれ、粉々にちぎってしまった。善晴氏は「キノコを潰す、なんて料理人には絶対できないことだったんです。でも、おかげであれから舞茸をみじん切りにした“舞茸そぼろ”など料理のバリエーションが広がりました。どんなこともきっかけにしてレシピを作ってきました」と懐かしそうに、当時を振り返った。

 さらに、善晴氏は「2カ月で60ほどのレシピを考えなければならず、1週間に1回は必ず徹夜という状況でなかなか大変でした」と勝さんから番組を受け継いだ頃の苦労を明かし、「何よりもそれが私を鍛えてくれたと思います。ですから『おかずのクッキング』がなかったら、今の私はありません」と感謝の念を口にし、スタジオからは大きな拍手が沸き起こった。

 そして、最後に「“一汁一菜”という提案は『おかずのクッキング』をきっかけに生まれました。この考えはコロナ禍の今、多くの人のなぐさめとなり、料理をする意味、家庭の意味をあらためて思い返すところまで広がりを見せています。番組は終わりますが『一汁一菜から始めましょう』というテーマが伝わったのなら、何も言うことはありません。とにかく一汁一菜で皆さんが元気に幸せになってほしい。そして、料理をする人を大切にしてください。それが家族の中で一番大事なことだと思います。また、日々、手料理を作ることはフードロスにも、持続可能な社会にもつながります。さらに、“手洗い”も日本の食文化の始まり。料理はそういった面でも人間の健康、身を守ることにつながっています。日本の食文化を伝え、残していくために、私もまだまだ頑張っていきたいと思っています」と力強く語り、48年の番組の歴史を締めくくった。


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