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【創刊60周年記念 平成令和編集長対談①】それぞれの時代で「TVガイド」を編集してきた2人が誌面の変容を語る!2022/08/03

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談

 この8月に「TVガイド」は創刊60周年を迎えます。また、「TVガイド創刊60周年記念特大号」となる「TVガイド 2022年8/12号」が、本日8月3日に発売されました。これを記念して、1998~99年に編集長を務めた武内朗と、2019~22年まで編集長を務めた塚本泰介によるスペシャル対談を実施。2人が語る、知られざる「TVガイド」の歴史を4回にわたってお届けします。

「TVガイド」と「ザ・テレビジョン」

武内 「僕は昭和の末に入社して、新聞のラ・テ配信で昭和の最後を見届けてから、90年に『週刊TVガイド』の編集部に入ったんだよね。だから創刊30年の直前くらい」

塚本 「では、一番『TVガイド』が変容していくさまを体感しているということですね」

武内 「ものすごくざっくり言うと、まず創刊20周年に当たる82年に『ザ・テレビジョン』と『テレパル』が創刊されたのが大きいと思う。それまでテレビ情報誌といえば『TVガイド』しかないような状態だったから、そこからいろいろ変わっていったよね。変わらざるを得ないというか。地区版も増えていって。競合が出てきて大変ではあったけど、切磋琢磨(せっさたくま)した部分もあると思う。まだ市場も大きくなっていってたし」

塚本 「やっぱり1日の番組表を見開きで載せるというのが、『ザ・テレビジョン』のアイデンティティーだったんですか?」

武内 「そうね。『TVガイド』は、1日4見開きとか、2見開きとかだったからね。小判(A5判)だったし。逆にそれが『TVガイド』のアイデンティティーになったというか」

塚本 「『ザ・テレビジョン』がそのような誌面作りをしたというのは、一覧性があって見やすいという戦略からということなんですかね」

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談

武内 「他誌のことだからよく分からないけれど、後発だったらそうするよね。『TVガイド』がどうして初め小さかったかというと、アメリカの『TVガイド』を参考にしたからで。スーパーのレジ横のラックで売ったりね。そういう流通のこともあったから。で、おそらくその競合他誌の影響もあって、僕が編集部に行くちょっと前に編集長が替わって、同じ判型のまま無線綴じ (ホチキスや糸を使わず、背表紙に糊をつけての製本)になったんだよね。グラビアを強化したいというような意図があったと思う」

塚本 「なるほど。そういう流れで無線綴じになったんですね」

「TVガイド」の誌面の変化

武内 「よくしたもので、翌年(91年)の1月に『東京ラブストーリー』(フジテレビ系/91年)が始まる。そしてこの頃から各局のテレビドラマが3カ月ごとに一斉に始まるようになった」

塚本 「それまでは、現在のように一斉に4月から新ドラマが始まるというようなことはなかったんですか?」

武内 「そう、結構まちまちで今みたいにせーのって感じじゃなかった。『東京ラブストーリー』のヒットもあってドラマに注目が集まったので、『TVガイド』もこの人気に乗らない手はないってことで。それで、そのクールのドラマの登場人物たちの関係図や見どころをまとめる特集を始めたんだ。ほかにも『最終回まで待てない』とか『大結末』とか、複数のドラマをまとめて扱う企画ができたのもこのあたりだね」

塚本 「今の『TVガイド』のラインアップでも欠かせない関係図は、この時に生まれたんですね。今では他誌も普通にやってますけど」

武内 「そう。『TVガイド』が最初だと思う。やっぱりドラマの調子がいいとテレビ雑誌も売れるんだよ。創刊間もない60年代の頃も、海外ドラマのストーリーが人気を博したって聞くからね。まだバブルの頃で、テレビ局にも勢いがあったしね。『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系/91年7月~)、『ずっとあなたが好きだった』(TBS系/92年7月~)、『高校教師』(TBS系/93年1月~)、『あすなろ白書』(フジテレビ系/93年10月~)など、90年代前半は人気ドラマがたくさん生まれて、『TVガイド』を彩ってくれた」

読み物からグラビアへ、小判から大判へ

武内 「ただ、その当時の『TVガイド』は大きさが小さかったこともあって、モノクロページの特集がメインだったんだ。『独占!明菜』って表紙に謳ってる号があるけれど(91年8/30号)、こんなにちゃんとグラビアやってるのは珍しかったんじゃないかな」

塚本 「グラビアをやることが特別だったということですか」

武内 「そうね。その当時は、まずカラーページが少ないしノウハウもないし」

「平成・令和のTVガイドの作り方」編集長スペシャル対談

塚本 「なるほど。あえて特写で中森明菜さんのグラビアをやろうということが特別だったんですね」

武内 「そういうチャレンジを繰り返しつつノウハウをためて、常設で雑誌の頭にグラビアを置こうというようになったのが、93年くらいじゃないかな」

塚本 「今から考えると想像もできないですね」

武内 「全然違うよね。あと、94年頃になるとドラマの勢いが一旦落ち着いてくるんだよね。『家なき子』(日本テレビ系/94年4月~)のようなヒットはあったけれど、ドラマの特集では響かなくなった。それで次の一手として、雑誌の大きさを大判にしようという話が上がってきたんじゃないかな。でも、ただ大判化してもまねになってしまうから、何かアイデアが欲しい。それで『超番組表』というものができたんだね」

塚本 「『超番組表』というのは、これまでの『TVガイド』の特色でもあった、1日の紹介に4ページを割くという形を崩さないまま大判化したということですね。かなりアクロバティックな試みですよね」

武内 「そうだね。そのような流れでデザインなどの準備を進めて、95年の11月に晴れて大判(A5判からA4変形判)になった」

 「平成・令和の編集長対談」の第2回は、8月10日に公開予定。テーマは「ジャニーズ表紙の歴史」。

【プロフィール】

武内朗(たけうち あきら) 
1986年入社。「TVガイド」編集部に90年に配属。その後、「TV Bros.」編集長などを経て、98年に「TVガイド」編集長に(~99年)。


塚本泰介(つかもと たいすけ) 
2003年入社。「TVガイド」編集部に05年に配属され、その後、「月刊TVガイド」など他媒体の編集部を経て、19年に「TVガイド」の編集長に(~22年4月)。

撮影/蓮尾美智子



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