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中村哲医師の生涯に迫る! 凶弾に倒れるまでアフガン支援に尽力した信念とは?2020/06/25

 TNCテレビ西日本は6月28日(深夜1:00)に、アフガニスタン支援に力を注いだ福岡県出身の中村哲医師の生涯に焦点を当てるドキュメンタリー「カカ・ムラド~中村哲の信念~」を放送する。

 中村医師はアフガニスタンで医療活動のほか、白衣ではなく作業着に身を包んで用水路建設などの人道支援に尽力。同国の乾燥した大地に水と緑をもたらした。武力によらない平和の実現を目指し、難民支援にも取り組んだ彼は現地で「カカ・ムラド(中村のおじさん)」の愛称で親しまれる。その功績は現地語の絵本「カカ・ムラド」としても出版されたほどだ。また、敬意を表して子どもに「ナカムラ」と名付けようとする親さえも現れるくらいに慕われた。

 だが、2019年12月4日、中村医師はアフガニスタンで銃撃されて死亡。自己を犠牲にしてまで同国の復興に生涯を捧げた信念とは何だったのか? 彼がアフガニスタンと日本に残したものとは? TNCの秘蔵映像とアフガニスタンの最新映像を交えて、その人生に迫る。

●中村哲(なかむら てつ) 

1946年、福岡県福岡市にて出生。幼少を当時の同県若松市(現北九州市若松区)で過ごし、その後当時の同県古賀町(現古賀市)へ移住。西南学院中学、福岡高校、九州大学医学部へと進む。 

1983年 国際医療NGOの医師としてパキスタン・ペシャワールへ派遣。 

1991年 アフガニスタンへ活動を広げ、初となる診療所を開設。 

2000年 アフガニスタンの干ばつが深刻化。 

2001年 同時多発テロを機に、中村医師のアフガニスタンにおける医療活動が全国的に知られ始める。 

2003年 緑の大地計画・用水路建設がスタート。 

2010年 マルワリード用水路完工。 

2011年~ 10の堰(うち一つは廃止)を築き、約1万6000ヘクタール、65万人の自給自足が可能に。 

2019年 武装グループに襲撃され死亡。享年73歳。

 番組を担当したのはTNC報道部の藤野龍太ディレクター。藤野氏は「中村哲医師について詳しく知ったのは、恥ずかしながら亡くなった後のことです。私が勤務する北九州市にゆかりがあることや、中村医師が成し遂げた偉業について、ニュース取材の中で少しずつ分かってきました。そして後悔しました。『生きているうちに一度でもお会いして、直接お話したかった』と。医者でありながらサンダルを作り、井戸を掘り、用水路を拓いた中村医師の人生。それは決して奇をてらったわけではありません。多くの関係者から話を聞く中で、中村医師の考える“医療”とは何か、中村医師が大切に受け継いできた“信念”が浮き彫りになってきました。そして、一つ安心したことがあります。中村医師の信念が日本、そして遠く離れたアフガニスタンの地に確実に根づいていること。番組を通じ、現地で『カカ・ムラド』と親しまれた粋なオトコの生涯を味わっていただければと思います」とコメント。

 また、ナレーションには福岡県北九州市出身の光石研を起用。「番組内で、中村医師と北九州市若松区の関係を掘り下げております。福岡の放送局が作る、福岡に根差した中村医師の番組のためには、どうしても地元出身の方にナレーションを、という思いがありました。そんな経緯のもと、北九州市出身の名バイプレーヤー・光石さんに、ぜひとも読んでいただきたいと思った次第です」と明かす。

 同番組は第29回となる「FNSドキュメンタリー大賞」への応募作品。FNN系列28局それぞれがドキュメンタリー番組を制作して大賞などを競うコンテストで、1992年から毎年実施されている。入社5年目の藤野氏が同応募作を担当するのは初めて。「そもそもドキュメンタリー番組を作りたいという思いのもとTNCへ入社し、報道部を志望しておりました。その願いがかなうという点では(担当が決まった際は)非常にうれしかったです。取材期間が少し短かったので、ただただ『やるぞ』という思いで、中村医師の著書を買い漁りました」と振り返る。

 同局では2014年の第23回で優秀賞を獲得しているが、「いつも狙っています」という2000年の第9回以来の大賞を目指している。

●藤野龍太(TNCテレビ西日本・ディレクター)

1993年 福岡市生まれ。 

2012年 九州大学法学部入学。 

2016年 TNCテレビ西日本に入社し、社会部記者に。 

2017年 北九州支局へ配属。 

2019年 北九州支局警察キャップとして暴力団事件など担当。 

2020年 「カカ・ムラド~中村哲の信念~」を制作。

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