安田章大インタビュー「人生の岐路」と語るテント舞台を、なぜ映像に残したのか?2026/01/10 10:00

SUPER EIGHTの安田章大が主演を務め、2025年夏に上演された新宿梁山泊による唐十郎初期作品連続上演「アリババ」「愛の乞食」。昭和40年代に初演された唐十郎の初期代表作2本を、新宿梁山泊代表・金守珍の演出でよみがえらせた本公演は、全公演即完売という反響の中、幕を閉じた。
その舞台が現在、配信という形で映像化され、PIA LIVE STREAMにて独占配信中だ。テント後方や脇からは見えなかった表情、額をつたう汗、ぶつかり合う身体の緊張感まで。映像は、役者一人一人が放つ生のエネルギーを、至近距離で克明に捉えている。
安田にとって、このテントに立つという経験は、単なる主演舞台ではなかった。人生の中でも指折りの「岐路」と言い切るほどの覚悟と実感が、そこにはあった。なぜ今、テントだったのか。なぜ唐十郎の戯曲だったのか。そして、なぜこの舞台を“映像として残す”必要があったのか。その問いを投げかけると、今回のテント演劇に懸けてきた思いが、言葉となってあふれ出した。
人生の岐路となったテント舞台
新宿・花園神社にテントを建て、芝居をし、最後にそれをばらす。安田にとって今回の舞台は、「主演を務めた1本の舞台」という枠では到底収まりきらない体験だったという。
「何年も前から、このテントに立つことの意味や意義を掲げてきました。実際に花園神社にテントを設営して、最後にそれをばらすところまでできた。その一連をやりきれたことは、自分にとって一つのロマンをかなえられた瞬間でした」
安田はこの経験を、キャリアの転機というよりも、もっと根源的な意味での「人生の岐路」だと語る。
「これは自分の人生において、すごく大きな岐路だと思っています。もしかしたら、自分の病気の次に来るくらい、大きな岐路かもしれない。あれほど近い距離でお客さまと対峙(たいじ)するというのは、普通に生きていたら、まずない経験ですし、すべてを見透かされているような状態に立つこと自体、なかなかないことなので」
観客と極限まで近い距離で立つことは、表現者としてだけでなく、人としての在り方にも影響を及ぼした。
「この経験を経て生きていくということは、表現者として、役者として、そして人として生きることそのものにつながっていく。そうなってくると、覚悟が必要で、生き方そのものが変わってくる。その入口に立った感覚があります」

今回の挑戦について、安田は個人の達成にとどまらない意味も感じている。
「これまで事務所として許されてこなかった、というよりも、やりたいと言う人がいなかったという方が正しいかもしれませんが、“テントに立つ”ということを、アイドルという肩書きを掲げたまま実現できた。その意味はとても大きいと思っています。このステージに立てたことは、これからのSTARTO ENTERTAINMENTにもつながっていく、一つのスタート地点になるのではないかと感じています」
さらに安田は、テント演劇という文化そのものを「今の時代にどう手渡すか」という視点で捉えている。
「芸事は水物ですから、流れていくものですし、時代とともに風化したり、もう一度隆起したりもする。その中で、令和7年というこの時代に、テントにどんな意味を持たせるのかは、ずっと考えていました。その挑戦を事務所が許してくれたこと、そして、ファンの皆さんが実際に足を運んでくれたこと。そのすごさは、強く実感しています」
だからこそ、安田の中には「これは多くの人に体験してもらうべきものだ」という思いが芽生えた。
「テントに立ちたいと考えた、その時点から、“これは映像に残すべきなんじゃないか”と思っていました。それを一緒にかなえたいと思ってくれた仲間がいて、その方々のおかげで今があります。ファンの皆さんにも、助けてくれた仲間にも、そして60年代から走り続けてきた唐組、劇場文化そのものにも、感謝と敬意を払いたいです」
新宿梁山泊という集団の中で立つということ

配信には、約45分に及ぶメーキング映像も収録されている。稽古初日からテント設営、ゲネプロ、本番、そして千穐楽後の解体まで――芝居が立ち上がり、終わっていくまでの過程が記録された。安田自身が設営から解体までほぼ全工程に参加している姿も映し出されている。
舞台に立つことと、「場を作る」こと。その両方に身を置く経験は、テント演劇が誰かに用意された場所ではなく、自分たちの手で立ち上げる空間であることを、雄弁に物語っている。
そうした現場に身を置く中で、安田が強く意識していたのが、新宿梁山泊という集団の中での自身の立ち位置だった。
「まず、僕は“部外者”なんですよね。皆さんがどれだけの熱量でこの世界に関わっているのか。その中に、自分がどこまで入っていいのかという線は、はっきりとあると思っていました」
「アイドル」という肩書きを持つ自分が、どこまで理解され、どこまで受け入れられるのか。その緊張感は、稽古が始まる前から常にあったという。
「立ち入っていいのかどうか。まずは、テントに立つということがどういうことなのかを考え直しました。どこまで理解して、どこまで愛を持って、どこまで命がけで向き合っているのか。その人たちと足並みをそろえて、同じフィールドに立てるのか。そこは、すごく考えました」
現場では、どうしても「SUPER EIGHT」「アイドル」というイメージが先に立つ。その現実を率直に示したのが、舞台監督助手で、普段は演出家として活動している内田達也さんからの言葉だった。
「どう頑張っても、章兄はアイドルやし、SUPER EIGHTと言われる。でも、それも含めて一つの魅力やと思います」
一方で、安田が望んでいたのは特別扱いではなかった。
「準備の途中くらいから、めちゃくちゃ顎で使われるようになりました(笑)。でも、それが僕の望んだ形でしたし、初めてフラットになれた瞬間だったと思います」
その経験は、安田自身の価値観にも静かに影響を及ぼしていった。
「人としてどう生きるのか、何に情熱を注ぐのか。そういうことを、すごく考えさせられました。これは、きっと自分のグループにも反映されていくと思います」
なぜこの舞台を“配信で残す”のか

安田が唐十郎作品にひかれた原点には、唐の息子である俳優・大鶴佐助との出会いがある。10年以上前、舞台での共演をきっかけに大鶴に誘われ、初めてテント芝居を見た。
「もう、驚愕(きょうがく)でした。立てなくなって、涙が止まらなかった。“なんだ、この借景を取り込んだ異世界に連れて行かれる感覚は”って。自分はいま本当の世界にいるのか、それとも偽物の世界なのか。それすら分からなくなるところまで追い込まれていく。その感覚が、テントそのものと重なっているんだと思います」
唐十郎が生前語っていた「臭いのしない芝居をするな」という言葉。「匂い」ではなく、「臭い」と書くにおい。その思想はいまもテントの中に息づいている。安田は、その精神が令和の時代にまで受け継がれていること自体を、一つの奇跡のように感じている。
「風化していくし、なくなっていくものだし、正直、利益になるものでもない。それでも残さなきゃいけない。なぜなら、ここに足を運ぶ人が確実にいて、魅了されて帰っていくからです」
安田の視線は、すでに次の“場”へと向いている。テント演劇を一過性の出来事として終わらせるのではなく、持続可能な形で残していくこと。海外の観客を迎え入れる場所、東京タワーの下、上野・不忍池といった具体的なイメージも、その構想の中にある。ただし、それは理想論だけで語れる話ではない。だからこそ安田は、未来を現実にしていくために、自身が果たすべき役割を冷静に見据えている。
「仲間が手を取り合えたら、できる時が来るかもしれない。面白いことは、やったほうがいいですよね。その中で、アイドルという立場を与えてもらっている自分だからこそ、スポンサーとして支えてくれる人たちを集める、という役割も、自分の仕事なのかもしれないと思っています」
芝居の力を信じているからこそ、安田の言葉は具体的だ。
「芝居が本当に面白いと思ってくれるお客さんがいて、そこに、それぞれのジャンルのファンが集まってくれれば、1公演200人、300人規模のテントは必ず埋まっていく。それをきちんと集客につなげていく。そのための第1歩であり、第2歩だと考えています」
テントに立った経験は、夢を語るためのものではなく、現実を動かすための確かな足場になっている。その実感があるからこそ、安田は未来の話を「現実の言葉」として語ることができた。そしてその感覚は、今回の舞台を配信という形で残すという判断にもつながっている。
「テント演劇は、商業演劇でやらせていただいたものより、はるかにテンポが速い。体感で言うと10分くらい早いですし、僕自身もかなりまくし立てるようにしゃべっています。正直、1回見ただけで理解が追いつくものではありません」
だからこそ安田は、「何度も見ること」を前提に配信という形を選んだ。そこで大切にしているのが、金守珍がよく使う「誤読」という考え方だ。
「何回も見ないと、この体験は刷り込まれない。そのために配信という形でアーカイブを残しました。『誤読のすすめ』という言葉があるんですけど、誤読するためには、何度も見て、何度も触れなきゃいけない。その先に、自分だけが感じ取れる感性が生まれてくる。それが、最終的には自分の人生に作用してくるんです」

舞台で受け取った感情は、時間を経て、ふとした瞬間に人生と重なっていく。
「『あ、この感じは、あの時と同じだな』『じゃあ、こう対処すればいいのか』って、使えるようになってくる。だから、これはかなり“使える”方法だと思います。何度も見てほしい。『アリババ』もそうですが、後半になるにつれて登場人物がどんどん増えていく。でも、その一人一人が主人公なんです」
誰の視点で見るかによって、見えてくるものは変わる。繰り返し触れることで、「勝ち負け」や「生死」といった価値の輪郭も、次第に揺らぎ始める。
「『誰が勝ち組で、誰が負け組なのか』『誰が生きていて、誰が死んでいるのか』。単に命がある・ないという話ではなくて、これから自分が生きていくためのヒントが、山ほど転がっている。『自分はいま、生きているのか』。その問いが、すごくはっきり立ち上がってくるはずです」
安田がこの作品を通して手渡そうとしているのは、明確な“答え”ではなく、見る側それぞれの中に立ち上がる“問い”だ。
「唐十郎さんの作品は、時々、こちらの生き方を突き付けてくる瞬間がある。自分がどんな状態で生きているのか、ちゃんと立ち止まって考えさせられる。一度では分からないし、見るたびに印象は変わる。体調も気分も関係する。お酒を飲める方は、飲みながら見てみるのもいいかもしれません」
唐十郎がテントと戯曲を携えてアジアを横断してきたように、この舞台もまた、見る者を日常とは異なる場所へと連れ出す。
「『?』がたくさん浮かぶ舞台ではあると思います。でも、それで正解。分からないものを、分からないって言える世の中になった方がいい。人生って、いつ何が起きるか分からない。だから、エネルギーは次の日に残さないほうがいい。ギリギリまで使い切ったほうがいい。そんな姿に、人は魅了されるんだと思います」
答えが出なくてもいい。理解しきれなくてもいい。それでも、確かに何かを持ち帰る。その感覚こそが、テント演劇の本質であり、安田章大がこの場所に立った理由だった。分からなさを抱えたままでもいい。その「?」ごと引き受けてくれる舞台が、ここにはある。

年末年始のように、少し立ち止まり、腰を据えて向き合える時間にこのテントで生まれた舞台を、ぜひ体験してみてほしい。
【作品情報】
配信版新宿梁山泊第79回公演〈唐十郎初期作品連続上演〉『愛の乞食』『アリババ』
PIA LIVE STREAM
1月20日 午後11:59まで
詳細はチケットぴあまで
取材・文/斉藤和美
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