激動の1995年、歴史の瞬間を記録した報道カメラマンが30年ぶりに激白!2025/05/16 12:00

BSフジでは、5月18日(午後6:00)に「カメラマンが捉えた1995」を放送する。今から30年前の1995年は、平成の31年間の中でも記憶に残る出来事が多く、戦後では大きな転換期とも称される1年だった。同番組は、その1995年に焦点を当て、歴史的な出来事を現場で取材したカメラマンたちの証言と映像で振り返っていくとともに、現代の日本をかたち作った過程を探っていく。1995年当時を知る人はもちろん、知らない人にとっても数多くの示唆に富み、学びの多い内容になっている。
元日の新聞の1面に「サリン残留物を検出」という不穏な見出しが躍って幕を開けた1995年。富士山の麓、オウム真理教の教団施設があった山梨県の上九一色村(現・富士河口湖町)は世間の注目を浴びていた。1月17日には阪神・淡路大震災が発生する。政界では、タレント知事が誕生し、有権者の選択肢に変化が現れ始めた。8月、戦後50年を機に「村山談話」が発表される。経済は、1ドル=79円時代に突入し停滞が始まる。金融危機への入り口に差しかかっていた。一方、秋にはWindows95が発売され、パソコンが家庭に普及し始め、デジタル時代の扉が開かれた。

スポーツでは、野茂英雄投手が海を渡り、米・メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースで活躍を遂げる。さらには、コギャル文化に象徴されるように若者を中心にライフスタイルが大きく変化する。これまでの常識が通用しない時代にフェーズは変わった。番組では「何が終わり、何が始まったのか? 何を失い、何を得たのか?」こう問いかけているが、このように列挙しただけでも、1995年が大きな節目の年であったかをあらためて教えてくれる。
番組は大きく三つのパートで構成されている。一つ目は3月20日の地下鉄サリン事件当日のカメラマンの動き。二つ目は、野茂投手のメジャーリーグ挑戦への密着。三つ目は、阪神淡路大震災。神戸市上空からを市街の様子をリポートしたカメラマンと、がれきにまみれた被災地の現場の様子を丹念に取材したカメラマンの証言と映像。そして、これらの報道活動を未来に継承していくための展望も提示する。

地下鉄サリン事件では、事件当日の3月20日のカメラマンたちの取材活動の動きが時系列で再現される。休み明けの月曜日の朝、まだ日常にいた3人のカメラマンは早朝から既に都内の各地で取材にあたっていた。そんな中で、午前8時過ぎ、地下鉄で同時多発的に事件が発生、被害者が多数出ているものの詳細は分からない。
今と違ってスマートフォンなどない時代で、正確な情報が全くない中、指示されるがまま現場に向かう者、たまたま取材先に飛び込んできた無線の情報をきっかけに、現場に駆け付けた者など、現在との取材環境の違いに気付かされる。中には、駅の執務室で処理をした残存サリンの影響で被害に遭ったカメラマンもいたことが分かる。混乱した現場には規制線もなく、地下鉄の駅構内まで入っていたら命を落としていたかもしれない、という恐怖すらあったという。生死を分けるような現場を体験したカメラマンの、当時の心情を聴けるのは貴重だ。

一方、テレビが初めて体験した都市型大震災が、阪神淡路大震災。実は、そのちょうど1年前に、米・ロサンゼルスでノースリッジ地震が発生していた。当時、現地でこの地震を取材したカメラマンがいた。直後のニュースにはなったものの、日本ではそれほどの地震は起こらないだろうと思っていたと、その後あまり検証されることはなかった。
地震発生後、報道ヘリコプターで神戸上空から長時間、撮影を続けた前川勇二カメラマン。横倒しになった阪神高速道路の様子を茶の間に届けた張本人だ。カメラ調整もままならぬ中、撮影を始め肉声でリポートを続ける映像は、今なお鮮烈だ。特に長田区上空のすさまじい黒煙の映像は、火災の被害の大きさをまざまざと物語っていた。
市街の被災現場で取材にあたった吉川浩也カメラマンの言葉には重みがある。がれきの中から救出される女性にカメラを向けた心境、救出後はカメラを置いて搬送を手伝ったエピソードに、報道カメラマンの現場での葛藤が吐露される。その後も、劣悪な環境の避難所生活の取材を続けた際、一日の終わりにたきびを囲んでコーヒーを飲んでいる時に、被災者から投げかけられた言葉に、被災者と取材者の違いを突き付けられたという。それ以来、毎日の生活を懸命に生きている人たちが気になり、さらに取材を続けた。

そんな中、妻と三男を亡くした家族と出会い、父と2人の子どもたちの日常を密着取材することになる。家族の信頼を得た吉川カメラマンは、続けることが大切と25年にわたって3人を撮り続けた。そこには、震災で家族を失った悲しみと、それでも前に進む強さを映像に記録するという、報道の本質を語っている。なお、吉川カメラマンのこれらの記録は、「想いをたずねて~6430人 いのちの記録~」(カンテレ、2000年1月16日放送)、「想いをつたえて~阪神淡路大震災・父子が歩んだ20年~」(カンテレ、2015年3月8日)などのドキュメンタリー番組にもなり、高い評価を受けている(前者は「カンテレNEWS」の動画配信チャンネルで視聴可能)。
現役を退いた吉川カメラマンの思いは後輩のカメラマンにも引き継がれている。阪神淡路大震災の記憶はない若いカメラマンは、昨年の能登半島地震で、すぐに現地に駆け付けた。吉川カメラマンから授かった被災者に寄り添う気持ち、対話の大切さを継承している姿に、報道の現場の未来も描かれている。

そのほかにも数多くのカメラマンの証言から、報道に向き合う矜持(きょうじ)と葛藤、未来へのメッセージがふんだんに盛り込まれていて、どんな世代、立場の人にとっても心に刺さる言葉がちりばめられている。30年という年月は、時代を取り巻く環境を大きく変化させるとともに、組織では世代交代が避けられない。そういう中で、この番組を企画したのは、1995年当時10歳だったという報道カメラマンだそうだ。
未曽有のニュースに出くわした時に、自分に何ができるのかを考えながら、先輩カメラマンたちの取材を続けたという。これまで報道カメラマンの肉声を聞く機会はあまりなかった。今回このような形で番組が制作されたことは、テレビの役割、映像の持つ力の意味をあらためて考える良い機会となりうる。とりわけテレビの信頼回復という面でも意義のあるドキュメントだと感じる。
【番組情報】
「カメラマンが捉えた1995」
BSフジ
5月18日
日曜 午後6:00~7:55
文/飯野芳一
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