「ビートルズ ’64」名匠マーティン・スコセッシが映し出すビートルズの熱狂2024/12/07

1964年、初めてアメリカで公演を行ったザ・ビートルズ。2月7日にニューヨークに降り立った彼らは、14日間の滞在中にワシントン、マイアミへと移動しながら、全米を熱狂の渦に巻き込んだ。その様子に密着したアルバート&デイヴィッド・メイズルズ兄弟の映像を4Kで修復し、ポール・マッカートニーやリンゴ・スターら関係者への新規のインタビューや、生前のジョン・レノンやジョージ・ハリスンのコメント、デイヴィッド・リンチをはじめとする彼らのステージを“目撃”した人々の証言から、当時の熱狂を振り返る「ビートルズ ’64」が、ディズニープラス(Disney+)の「スター」で配信中だ。
製作を担当したのは、ジョージ・ハリスンの妻・オリビアの依頼を受け、「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」(2011年)を監督したマーティン・スコセッシ。同作で編集を担当したデヴィッド・テデスキが監督を務める「ビートルズ ’64」には、60年の時を経ても全く色あせることのないビートルズのパフォーマンスが、たっぷり詰め込まれている。「エド・サリバン・ショー」や、ワシントン・コロシアムとカーネギー・ホールで行われたコンサートで披露されるのは、「She Loves You」「Please Please Me」「In My Life」「From me to you」といった名曲の数々。ポール・マッカートニーが語る、聴いているだけで胸が躍る楽曲の歌詞に彼らが仕掛けたある“秘密”には、思わずうならされる。

また、全編を通して問いかけているのが、「なぜ、当時のアメリカ人はこんなにもビートルズに熱狂したのか」という社会的な背景だ。作品にはビートルズが滞在したプラザホテルで“出待ち”をした女性や、テレビの前で彼らのパフォーマンスを楽しんだ“ジョージ推し”の女性が登場し、当時の思い出を熱く語っているが、62年にデビューした直後は彼らの楽曲はアメリカではそこまでヒットしていなかった。彼女たちのような多くの“ビートルマニア”が誕生した背景には、果たして何があったのか。その一つの答えは、作品の冒頭で示される“ジョン・F・ケネディの死”だ。ケネディ大統領が暗殺されたのは、63年11月22日。ビートルズの渡米の約3カ月前。当時を振り返ったポール・マッカートニーが「アメリカは“何か”を求めていた」と語る通り、ビートルズの音楽は、多くのアメリカ人の中にポッカリと空いた喪失感を埋める“何か”となったのかもしれない。そう考えると、彼らが降り立ったのが、63年12月に「ジョン・F・ケネディ国際空港」と名を変えたばかりの空港だったのも、運命的に感じられる。

もう一つ、彼らの楽曲が幅広い層に受け入れられた背景として語られるのが、当時の黒人ミュージシャンの抱えていたフラストレーションだ。映画「ドリームガールズ」(06年)でも描かれた通り、当時のアメリカでは「モータウン」をはじめとする黒人の作った楽曲は、白人によってカバーされヒットを奪われてしまうのが“常識”となっていた。楽曲を作っても正当に評価されず、悶々(もんもん)としていた黒人ミュージシャンたちは、リバプールからやって来たビートルズをどう受け止めたのか。作品では「Twist and Shout」を手掛けたアイズレー・ブラザーズのロナルド・アイズレーら黒人ミュージシャンにもインタビューを敢行し、ビートルズがアメリカ人を熱狂させた理由を多角的に分析していく。
ホテルの滞在中や車や電車での移動風景など、ビートルズのオフの表情も楽しめる一方で、彼らを追いかける人々の様子や多くの人の証言から、64年のアメリカの様子も浮き彫りにする「ビートルズ ’64」。何度見ても新たな発見が得られそうな、良質なドキュメンタリーだ。
【コンテンツ情報】

「ビートルズ ’64」
ディズニープラス「スター」
独占配信中
文/須藤美紀
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