【W杯2026の“推し王子”選手名鑑】世界の注目選手をピックアップ!2026/06/10 12:00

4年に一度のサッカーの祭典「FIFAワールドカップ2026」が、いよいよ開幕! 6月12日~7月20日(いずれも日本時間)までの1か月強、アメリカ・メキシコ・カナダの3か国共催で全104試合が行われる。
ということで、われらが日本代表の試合を観戦するのみならず、「FIFAワールドカップ2026」のさまざまな楽しみ方や見どころをTVガイドWeb的な目線で紹介。今回は、この大会での活躍が期待される世界各国の代表選手のうち“イケメンイレブン”を独断と偏見で選出(異論は認めます)、おのおののプレースタイルやパーソナルなエピソードから、TVガイドWebが勝手に名付けた「~○○王子~」というキャッチフレーズとともに、選手たちの注目ポイントをお届けします!
【TVガイドWeb的・ワールドイケメンイレブン名鑑】~魅惑の王子たち~
~PK阻止王子~
ニコラ・バシリ(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表) GK
■1995年12月2日生まれ、ボスニア・ヘルツェゴビナ国籍。193cm、85kg。ザンクト・パウリ(ドイツ)所属。

ワールドカップ2026ヨーロッパ予選で何とかプレーオフに残ったボスニア・ヘルツェゴビナは、パスA準決勝で古豪・ウェールズと対戦。120分でも勝負がつかずPK戦へともつれ込んだ中、ウェールズ4人目のキッカー・ウィリアムズが甘めのコースに蹴ったシュートを、この「ボスニアの守護神」バシリが容赦なくストップ。チームを救い、パスA決勝へと駒を進める。
プレーオフ決勝の相手はアッズーリことワールドカップ優勝4回の強豪・イタリア。ところが前半早々、バシリがバックパスを痛恨のパスミス、これが起因となって失点を喫する。しかし、イタリア守備陣の要であるバストーニのレッドカード退場を機に流れが大きく変わり、攻め続けたボスニアは後半35分、ついに同点。2試合連続で延長戦へ。その前半、ボスニアを救う。エスポージトのヘディングシュートによる決定機を左手に当てて、ゴールを死守したのだった。結果、両国の運命はPK戦にて決められることに。2人が外したイタリアに対し、キッカー全員が決めたボスニアが悲願の北中米行きの切符を手にした。
イタリアを沈めたキッカーのバイラクタレビッチをバシリが祝福していたその瞬間、DAZN実況の北川義隆氏をして「イタリアは三度(みたび)、三度心臓が止まりました……!」と言わしめ、イタリア通として知られる解説の細江克弥氏も「(ボスニア・ヘルツェゴビナは)いいチームだと思います。(イタリアにミスを突かれて)先制点を奪われても屈しないメンタル的な強さが、プレーオフの2試合を通じて際立ちましたね」と称賛した戦いぶりは、バシリを中心とした守備陣の健闘が大きいと言えるだろう。イタリアの伊達男たちをPK戦でひざまずかせたことにちなみ、彼には「PK阻止王子」の称号をおくりたい。
~鉄壁守備王子~
ルベン・ディアス(ポルトガル代表) DF
■1997年5月14日生まれ、ポルトガル国籍。187cm、76kg。マンチェスター・シティ(イングランド所属)。

長らくプレミアリーグで覇権を握ってきたマンチェスター・シティで、強固な守備陣を率いてきたのが、同チームの支柱であるルベン・ディアスだ。対人守備はもちろん、空中戦にカバーリング、ポジション取りのうまさと、いいとこ取りのディフェンスリーダー。また、ディフェンスラインからのビルドアップにおけるパスの正確さ、確実に前線の味方にボールを届けるロングフィードのうまさ、機を見てミドルレンジからシュートを打つなど攻撃力も高く、他チームからすると非常に厄介にして味方にとってはすこぶる頼もしい存在として、最終ラインのセンターに鎮座する。
ワールドカップ本大会には三度目の出場だが、2018年ロシア大会では試合に出ることがなく、2022年カタール大会では旋風を巻き起こしたモロッコとの準々決勝、2m78cmという驚異のジャンプ力を誇ったユセフ・エン=ネシリにヘディングシュートを許してしまい、悔いを残している。自身は3度目の正直となる世界の舞台で、同国の英雄であるクリスティアーノ・ロナウドに有終の美を飾らせるために、そして昨年の夏に不慮の事故で28歳にしてこの世を去ったディオゴ・ジョッタへの手向けとしても、母国戴冠に全力を尽くすことだろう。その守備における能力の高さから、彼には「鉄壁守備王子」の称号をおくる。
~万能守備王子~
ロジェール・イバニェス(ブラジル代表) DF
■1998年11月23日生まれ、ブラジル国籍。186cm、73kg。アル・アハリ・サウジ(サウジアラビア)所属。

ロジェール・イバニェスは、父親がブラジル人、母親がウルグアイ人で、どちらの国の代表選手にもなれる選択肢があった。が、2019年9月に生まれ育ったブラジルの23歳以下のセレソン(=代表)として初招集。母国のフルミネンセで頭角を現し、19年1月にイタリア・セリエAの古豪・アタランタに移籍した後のU-23代表入りで、翌年にはローマに買取オプション付きの期限付き移籍を果たすという順風満帆のキャリアを歩んできた。
ブラジルでは中盤でもプレーしてきたが、イタリアではセンターバック(CB)を本職に。スピードとアジリティー(機敏性)に長け、エアバトルにも強いという理想の現代的CB像として自らの存在価値を高めてきたイバニェスのフィジカルは、まさに天からの贈り物と言えよう。また、先述の通り、MFでもプレーしていた経験から攻撃センスも高く、フィードの巧さにはうなるばかり。“最終ラインの司令塔”としても活躍が期待できる。
28歳にして満を持して夢だったセレソン・ド・ブラジルの一員として「FIFAワールドカップ2026」のひのき舞台へ。母国開催で優勝候補ながら、準決勝のドイツ戦で1−7という屈辱の大敗を喫した14年ブラジル大会における「ミネイロンの惨劇」に衝撃を受けたであろうイバニェスは、持てる技量と魂をそそいでセレソンの黄金期復活と最多となる6度目の戴冠に懸ける。そのオールラウンドな守備スタイルから、彼には「万能守備王子」の称号をおくりたい。
~爆速疾走王子~
ミッキー・ファン・デ・フェン(オランダ代表) DF
■2001年4月19日生まれ、オランダ国籍。193cm、81kg。トッテナム・ホットスパー(イングランド所属)。

快足を超えて“爆速”と言っても大げさではないほど、分かりやすく足が速いのが彼の特徴。ドイツ・ブンデスリーガのヴォルフスブルクに所属していた22-23シーズン(当時21歳)のデータでは、時速35.87km/h(100m走換算で10.04秒)を記録した。そのスピードを買われて23年8月には英プレミアリーグの名門スパーズことトッテナム・ホットスパーに移籍。同シーズンではプレミアリーグ史上最速の時速37.38km/h(100m走換算で9.63秒で、ウサイン・ボルトが持つ五輪記録並み)をたたき出し、世界中のサッカーファンを驚かせる。実は10代後半までは特に足が速かったわけではなく、むしろスピードが足りないと指摘されていたとのこと。これに一念発起してスプリント・トレーニングにいそしみ、爆発的な快足を開花させてプロデビューを飾ったという“努力の天才”でもある。
語り草は、何と言っても25年11月のUEFAチャンピオンズリーグでのコペンハーゲン戦における、75m独走ドリブルからのゴール。相手の攻撃を摘み取った味方からのボールを自陣ペナルティーエリア(PA)付近で受けると、そのままトップスピードでドリブルを開始。相手に囲まれつつもやや左サイド寄りのエリアを縦に持ち上がり、次々とぶち抜いて(その中の1人に、日本代表の鈴木淳之介もいた)、相手陣のPAに侵入するや左足を一閃、ゴールに突き刺した。全盛期のマラドーナやメッシ、またスパーズでかつて活躍したガレス・ベイルを彷彿(ほうふつ)とさせるプレーで、その名を広く知らしめたのは記憶に新しい。
この「爆速疾走王子」を左サイドバックに据えたオランダ代表が、森保ジャパンの初戦の相手。彼を全速力で走らせないようにするのが、オランダ攻略の鍵の一つになるだろう。
~ユーティリティー王子~
マルコス・ジョレンテ(スペイン代表) MF/DF
■1995年1月30日生まれ、スペイン国籍。183cm、74kg。アトレティコ・マドリード(スペイン)所属。

サッカー選手やバスケットボール選手を多く輩出しているスポーツエリート・ジョレンテ家の御曹司。自身はレアル・マドリーのユースで育ち、将来を嘱望されて19歳で同クラブのトップチームへ。しかし、名門の壁は厚く、21歳でアラベスへ期限付き移籍を余儀なくされる。が、新天地では中心選手としてピッチを縦横無尽に駆けめぐり、アラベスの躍進に貢献。翌シーズンは古巣に凱旋し、「FIFAクラブワールドカップ2018」の決勝でスーパーゴールを決めるなど爪痕を残すもけがで戦列を離れ、2019年6月にライバルのアトレティコ・マドリードへ。徐々に出場機会を増やしてディエゴ・シメオネ監督の信頼を勝ち取り、攻守において不可欠の存在に。
近年は、アトレティコで右サイドMFを務めることが多いが、ボランチやセカンドトップ、サイドバックとマルチにポジションを移せるユーティリティープレーヤー。なびく金髪、短めに下げたソックスといった出で立ちでサイドをドリブルで切り裂いていく姿は、まさしく貴公子といったところ。中盤の選手層の厚いスペイン代表では右サイドバックで起用される可能性が高いものの、どのポジションもこなせるプレーの幅が広いジョレンテの存在はラ・ロハ(=スペイン代表の愛称)にとって心強いはず。その器用さを讃えて、彼には「ユーティリティー王子」の称号をおくりたい。
~新世代レフティー王子~
ニコ・パス(アルゼンチン代表) MF/FW
■2004年9月8日生まれ、アルゼンチン/スペイン国籍。185cm、76kg。コモ(イタリア)所属。

生まれはスペイン・カナリア諸島のテネリフェで、父親のパブロ・パスも元アルゼンチン代表のDF(98年フランス大会に出場)。なお、ニコ・パスは略称で、本名はニコラス・パス・マルティネス。地元のCDテネリフェのアカデミーを経て、12歳でレアル・マドリーのU-13に所属。以後、マドリーで育ち、19歳でトップチームへ。23年11月のUEFACLナポリ戦で初ゴールを挙げるなど頭角を現していたが、やはり名門の層は厚く、24-25シーズンからイタリア・セリエAに昇格したばかりの古豪・コモ1907に移籍して活路を見いだす。
高身長でボールを隠しながらターンして相手をかわし、決定的なパスを出すプレースタイルは、かのジダンを彷彿とさせる。そのジダンがかつて所属していたユヴェントス戦で1ゴール1アシストと活躍、セリエAにおけるコモの対ユーヴェ戦73年ぶり勝利の立役者に。25-26シーズンは背番号を79から10番に変更し、エースナンバーにふさわしい輝きを見せ、クラブに「UEFAチャンピオンズリーグ」出場権をもたらした。黄金の左足の価値はテンバガー株並みに跳ね上がり、W杯後はビッグクラブへステップアップしてもなんら不思議じゃない。
初代表は24年10月のワールドカップ南米予選ボリビア戦。この試合でメッシのゴールをアシストしている。本大会でレジェンドとこのニュースターの左足から魔法が繰り出されたとき、アルゼンチンの連覇は現実味を帯びてくるだろう。そんな彼の左足に期待を込めて、「新世代レフティー王子」の称号をおくりたい。
~ベッカム王子の後継者・ベリンガム王子~
ジュード・ベリンガム(イングランド代表) MF
■2003年6月29日生まれ、イングランド/アイルランド国籍。183cm、75kg。レアル・マドリード(スペイン)所属。

英国・バーミンガム近郊で生まれ育ち、16歳にして名門バーミンガム・シティFCの最年少出場記録を樹立。その1か月後にはプロ初ゴールを決め、記録づくしのルーキーイヤーを過ごす。その才能をヨーロッパの強豪が放っておくはずがなく、翌年にはドイツのボルシア・ドルトムントへ。バーミンガム・シティのトップチームでプレーしたのはわずか1シーズンだったが、クラブは17歳だった彼に敬意を表して背番号22を永久欠番に。どれほど愛されていたかが、このエピソードだけでも分かるというものだろう。
ドルトムント時代はプレーメーカー的な役割やポジションをこなすことが多かったが、23-24シーズンから所属しているレアル・マドリーではより攻撃的なトップ下を任されることに。その采配は、現在ブラジル代表を率いているカルロ・アンチェロッティ監督による。コンバートは見事に当たり、ラ・リーガに移籍しての初戦、対アスレティック・ビルバオ戦でのゴールを皮切りに通算13得点をマークする。25-26シーズンは脱臼が癖になっていた左肩の手術をしたことで序盤こそ出遅れたが、早々に復帰して実力を遺憾なく発揮。監督の交代やチームの内紛で揺れた今季のマドリーにおいても、ベリンガムの評価は下がることがなかった。
イングランド代表はアンダー世代から常連だったが、17歳で早くもA代表デビュー。22年カタール大会にも出場し、グループステージのイラン戦で先制ゴールを挙げている。このゴールはW杯における21世紀生まれの選手による初得点であり、歴史に名を刻むことになった。
なお、少年時のアイドルの1人が、かのデビッド・ベッカムだった(彼もマドリーでプレー)。ベリンガム自身も整った顔立ちから女性ファンが多いこともあり、彼には「ベッカム王子の後継者・ベリンガム王子」の称号をおくりたい。
~セレブレーション王子~
ヴィクトル・ギェケレシュ(スウェーデン代表) FW
■1998年6月4日生まれ、スウェーデン/ハンガリー国籍。189cm、94kg。アーセナル(イングランド)所属。

日本代表がグループステージ第3戦で対戦するスウェーデン代表のエースストライカー。所属するアーセナルでも好調のシーズンを終えたばかりで、6月4日(現地時間)に行われたギリシャとの親善試合ではフリーキックを決めて、得点力の高さをあらためて証明している。
しかし、ここまでのキャリアは順風満帆とは言い難い。スウェーデン国内での活躍が目に止まり、19歳で英プレミアリーグ・ブライトンに移籍するも、ブレイクするまでには紆余曲折あった。ブライトンのトップチームではカップ戦での下位チームとの対戦で出場機会を得るも、プレミアリーグで出番なし。翌シーズンはドイツ2部(当時)のザンクト・パウリに期限付き移籍、ここで実力を発揮して20〜21シーズンはEFLチャンピオンシップ(英2部に相当)のスウォンジーを経て、同カテゴリーのコヴェントリー・シティへ。2シーズン半で計48ゴールを決めて、23〜24シーズンはコヴェントリー史上最高額の移籍金で守田英正が在籍するポルトガルの名門スポルティングへ活躍の場を移す。1年目から29ゴールでリーグ得点王になり、25〜26シーズンはついにアーセナルの一員として念願のプレミアリーグに“凱旋”。期待に応えて要所要所でゴールを決め、同クラブにとって22年ぶりとなるプレミア制覇に貢献した。
祖父が1956年の「ハンガリー動乱」でスウェーデンへ亡命してきたことから、ハンガリー代表を選ぶこともできたが、ギェケレシュはアンダー世代からスウェーデン代表として活動。FIFAワールドカップ2026ヨーロッパ予選のグループでは0勝&最下位ながらプレーオフ出場の権利を得たスウェーデンのエースとして、ウクライナとポーランドを撃破。後者との決勝では2-2のタイスコアで迎えた後半42分、ゴール前の混戦から相手DFとのフィジカル勝負に勝ってゴールに決勝点をブチ込み、2大会ぶりに“母国”を本大会出場へと導いた。
ギェケレシュの代名詞はゴール後に両手で口を覆うようなしぐさをするセレブレーション。それにちなんで彼には「セレブレーション王子」の称号をおくりつつも……日本戦では封じ込めてほしいと願うばかりだ。
~カットイン王子~
マイケル・オリーセ(フランス代表) FW
■2001年12月12日生まれ、フランス/イングランド国籍。184cm、78kg。バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)所属。

生まれと育ちはイングランドのハマースミス。フランス代表ながら「マイケル」読みなのは(フランス語ではミッシェル読みになる)イギリス育ちというバックグラウンドが関係している。なお、「オリーセ」は英語発音では「オリーズ」になるが、こちらは本人がフランス語読みを希望している模様。その要望に沿って、本稿も「マイケル・オリーセ」表記とした。
そのオリーセのプレースタイルは、右サイドからカットインして利き足の左足でファーサイドにコントロールショットを流し込むのが十八番。中に切れ込んでくると分かっていても止められないキレの良さと柔らかなステップに、相対する者は翻弄されてしまう。また、ポジション取りがうまく、こぼれ球を押し込むゴールも多い。今季のバイエルンでは同サイドに位置したレナート・カールとのコンビもさえていて、2人の連携から生まれたゴールも複数見られた。彼らが「FIFAワールドカップ2026」で対峙するシチュエーション、すなわちフランス対ドイツは過去にワールドカップで何度も名勝負を演じてきたカードだけに、ファンも実現を期待していることだろう。
さて、フランス、イングランド、ナイジェリア、アルジェリアいずれの代表を選ぶかで、若きオリーセは悩んだようだ。21年には父の母国であるナイジェリア代表に招集されたが、オリーセは最終的に24年パリ五輪でフランス代表としてプレー。同年、フランスA代表にも選出されて、レ・ブルー(フランス代表の愛称)の一員となった。絶好調で乗り込む初めてのワールドカップでの飛躍を期待して、彼にはその得意なプレーにちなんで「カットイン王子」の称号をおくりたい。
~トルコの至宝王子~
アルダ・ギュレル(トルコ代表) FW/MF
■2005年2月25日生まれ、トルコ国籍。175cm、70kg。レアル・マドリード(スペイン)所属。

15歳11か月にして、トルコの名門・フェネルバフチェとプロ契約を結んだ早熟の天才。ルーキーイヤー(21-22シーズン)は、ドイツ代表で活躍したメスト・エジル(トルコにルーツを持つ天才型レフティー)がチームメイトだったことから薫陶を受け、彼の後継者とも言われた。実際、エジルと交代して出場したアランヤスポル戦でプロ初ゴールを決めている。テクニカルな左足で魔法のようにボールを操るプレーはたちまちビッグクラブの目に止まり、23年7月、18歳でレアル・マドリーへ。若い選手が加入した際は大抵、武者修行的な意味合いと出場機会が多い期限付き移籍をするのが定石だが、ギュレルはあくまでマドリーでのプレーにこだわったという。
しかし、移籍後まもなくけがで戦列を離れることを余儀なくされ、ラ・リーガでのデビューは越年。だが、さすがトルコの至宝だけあって復帰後は徐々に出場時間を増やし、並みいる名手たちと競いながらマドリーで主力級に。圧巻は、26年3月の第28節エルチェ戦で決めた、70mの超ロングシュート。自陣でインターセプト、ルックアップして相手GKのポジションを把握するや、センターサークルの手前から左足を一振り。大きな弧を描いた弾道はゴール手前でワンバウンドした後、ネットを揺らした。実は前年にも同じシチュエーションで狙ったが、その時は惜しくも入らず。が、チャンスさえあればどこからでも狙えることを証明し、視野の広さと技術の高さをあらためて数多のサッカーファンに知らしめた。
当然ながらトルコ代表にも17歳で選ばれ、翌年には18歳114日で代表初ゴールを記録。言うまでもなく、トルコ代表史上最年少記録である。翌年の「EURO2024」のジョージア戦で決めたミドルシュートは、現在リバプールの守護神を務めるママダシュヴィリから挙げた殊勲で、EURO史上最年少ゴールとして歴史に刻まれた。02年の日韓大会で3位の躍進を遂げたトルコだが、実にそれ以来、24年ぶりの出場。チャルハノールらスターが揃う中、ギュレルの活躍が運命を握ると見て、彼には「トルコの至宝王子」の称号をおくりたい。
~不撓不屈(ふとうふくつ)王子~
伊東純也(日本代表) FW
■1993年3月9日生まれ、神奈川県横須賀市出身。177cm、68kg。KRCゲンク(ベルギー)所属。
「この世代で、前回(22年カタール大会)の悔しさを晴らせるチャンスがある。(中略)個人的にはリベンジかなと思っています」(DAZN「Mission 26」#5:伊東純也 より)。
伊東純也のサッカー人生は、決して順風満帆ではなかった。憧れていた横浜F・マリノスのジュニアユースセレクションに通らず、高校時代も公立校のサッカー部でプレーしていたため、全国的な知名度はなし。だが、推薦入学した神奈川大学の体育会サッカー部3年時に圧倒的スピードと得点力がJリーグクラブのスカウトの目に止まり、15年にヴァンフォーレ甲府でプロキャリアをスタート。翌年には柏レイソル、19年にはベルギーのKRCヘンク、さらに22年に当時リーグ・アン(フランス1部)のスタッド・ランスへとステップアップしていった経歴は、まさに不撓不屈の体現者と言っていい。
プレーの特性は言うまでもなく、右サイドを切り裂く快足ドリブルからのチャンスを生むクロス、そして機を見て狙うシュートの決定力に尽きる。29歳にして初めて臨んだ「FIFAワールドカップ2022」カタール大会は、決勝トーナメント1回戦でクロアチア相手にPKで涙をのむ結果となったが、伊東自身も「年齢的に最後になるかなと思っていた」(DAZN「Mission 26」#5:伊東純也 より)と語っている。だが、プレーを続けていくうちに「まだまだやれる」という実感を得られたことで、もう一度ワールドカップの舞台へ立ってリベンジを果たしたい、と思うようになっていった。
しかし、25-26シーズンはけがに悩まされて、またも逆境に立つことに。それでも不屈の体現者たる彼はコンディションを徐々に上げ、3月に行われたスコットランドとの親善試合で決勝点をマーク、森保ジャパンに自身が必要であることを結果で証明してみせた。
今大会ではシャドーで起用される可能性も報じられているが、昨年10月のブラジル戦で同ポジションを務めて2アシストを記録した実績がある。どんな起用法でも特性を発揮して、日本に勝利をもたらすのみ。不撓不屈のサッカー人生をおくってきた男は、静かに燃えている。
DAZNでは、「FIFAワールドカップ2026」の全試合を国内唯一ライブ配信するということで、「王子」たちのプレーを存分に見ることができる(全試合日本語実況・解説付き。グループステージの独占配信は39試合、日本代表戦は全試合、また準決勝・3位決定戦と決勝の4試合は無料配信)。新しい視聴体験「DAZNの目」も楽しめるこの機会に、ぜひアナタだけの「推し王子」選手を全世界代表から見つけてみてくださいね☆
【コンテンツ情報】
「FIFAワールドカップ2026」
DAZN
6~7月に随時ライブ配信予定
文/平田真人
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