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日本から世界へ~日本が誇る「蚊取り線香」の歴史 2025/07/02

日本から世界へ~日本が誇る「蚊取り線香」の歴史 

 メディア人に企画のネタを提供する「メディアのネタ帳」。最新スポットやトレンド、注目の人物などさまざまな話題を紹介する。今回は誕生から130年を超えるロングセラー商品・蚊取り線香でおなじみの「金鳥の渦巻」を生んだ大日本除虫菊株式会社の軌跡を紹介する。

 蚊取り線香でおなじみの「金鳥の渦巻」は、誕生から130年を超えるロングセラーだ。映画もオリンピックもまだこの世になかった1890年に、その産声を上げている。大日本除虫菊株式会社の創業者である上山英一郎氏が研究に研究を重ね、世界で初めて完成させた同商品。今や1,000億円市場 と言われる殺虫剤産業の歴史は、ここから始まった。

日本から世界へ~日本が誇る「蚊取り線香」の歴史 

 1885年、上山英一郎氏は米国植物会社社長のH.E.アモア氏と出会い、当時まだ日本になかった除虫菊の種子を手に入れた。それが物語の始まりである。ユーゴスラビア(現・セルビア共和国)原産のその植物の花に殺虫効果があることは、西欧では古くから知られていた。

 「野原で摘んできた除虫菊を部屋に飾ったところ、枯れた花の周りでたくさんの虫が死んでいたことから、この花の殺虫効果を研究するようになったそうです。そこで英一郎は早速、栽培を開始したんです」

 上山英一郎氏の子孫で、同社の専務取締役である上山久史氏は語る。

 「花を製粉し、次に考えたのはその効能を活用する方法でした。日本では木を燃やした煙で虫を追い払う『蚊遣り火』が奈良時代以前から行われていて、万葉集にも『蚊火(かび)』という名で出てきます。英一郎はこれに注目し、除虫菊粉を燃やすことを思い付きました。火鉢で焚(た)くなどアイデアはいくつもあったようですが、ある時、仏壇の線香を見て、この線香の香木の代わりに除虫菊の成分を練り込めば、と考えたそうです」

 その後、1888年から試作を開始。試行錯誤を重ねて世界初の蚊取り線香「金鳥香」が発売されたのは、それから約2年後のことだった。仏壇線香の製造法を利用したため形は同じ、長さ20cmの細い棒状で、燃焼時間は約40分と短かった。

 「蚊には、昼間飛んでいるヤブ蚊と、夜から明け方近くになると出てくるイエ蚊の2種類がいます。昼間、縁側で使う分には40分間の燃焼でもいいのですが、就寝中は40分おきに起きるわけにもいかない。安全に燃焼時間を伸ばし、安眠できるようにするにはどうすればいいかと英一郎が悩んでいたところ、妻のゆきが『渦巻にしたら?』と言ったのです。とぐろを巻いた蛇を見てひらめいたアイデアでした」

 後年、世界各地で作られることになる渦巻の蚊取り線香はこうして誕生した。海外の線香と違って日本の仏壇線香には手持ち棒がなく、全部燃え尽きるようにできていたことも渦巻の成形には都合がよかったのだという。「長さ60cmの線香を太く成形し、渦巻にすることで約6時間の使用が可能になりました。最初は手巻きで1本ずつ作ることを検討しましたが、運搬途中で折れる心配があり、大量生産にも向きません」

 そこで考案したのが、2本の線香をまとめて巴状に巻くダブルコイル方式。乾燥すると2本の間にすき間ができ、そこから1本ずつ分離して使えるという画期的な方法だった。

 また乾燥には、金網を使用した。これもゆき夫人の提案によるもので、魚の焼き網からヒントを得たという。発売は1902年。渦巻の着想から7年、棒状蚊取り線香の誕生から12年がたっていた。

 大正、昭和と、除虫菊はその後も盛んに栽培されたが、第二次世界大戦の食糧増産のため栽培面積が著しく減少。代替原料の開発が急務となる。「戦後、除虫菊の花から抽出される殺虫成分『ピレトリン』の研究が急ピッチで進められた結果、これとよく似た化学構造をもつ『ピレスロイド』という物質を化学的に合成することに成功しました」

 ピレスロイドは蚊への速効性は高いが、人間などの温血動物に対する毒性が低い。さらに自然界で分解しやすく、二次的環境汚染の怖れも少ないという理想的な物質だった。現在まで家庭用殺虫剤のほとんどに使われているのも、このピレスロイドだ。

日本から世界へ~日本が誇る「蚊取り線香」の歴史 

 蚊取り線香といえば、鶏が描かれたパッケージでもおなじみだ。金鳥の商標は創業者・上山英一郎氏が史記に出てくる「鶏口と為るも牛後と為る勿れ」(=小さくとも一流たれ)の一節から考案。その後の大々的な広告宣伝で日本中の家庭に金鳥のマークが浸透していった。新聞広告に始まり、大正から昭和にかけては美術品レベルの石版刷りカラーポスターを多数制作。ラジオやテレビのメディアにも同社はいち早く進出している。

 「当社が宣伝に力を入れてきたのは、この世にない商品を創り続けてきたから。何だか分からないモノにまず興味を持っていただき、理解していただく必要があったのです。例えば、1952年にエアゾール式殺虫剤のキンチョールを発売した際も、スプレー缶を使うのは初めてという人がほとんど。使用方法や効能を分かっていただくために広告宣伝は欠かせませんでした。英一郎が蚊取り線香を創った時も、『これを何と言うんや?』ときっと悩んだと思います(笑)」

 ジカ熱やデング熱、マラリアなどの感染症を媒介する蚊は地球上で人間を最も多く殺している生物だという。だが、そうした事実が判明したのは、この100年ほどのことだ。上山英一郎氏が蚊取り線香を発明した時、世界中で感染症予防に使われる日が来るとは想像もしていなかっただろう。「とはいえ、私達は世界中の蚊を全滅させたいわけではありません。蚊がまったくいなくなれば、蚊をエサとする世界中のトンボやツバメ、コウモリもいなくなってしまいますから」。

 同社が日々研究しているのは、あくまでも人間のいる場所を快適にするための商品だ。環境や生活スタイルの変化と共に、そこに入り込んでくる虫も変わり、薬剤も変わる。時代が移り変われば、本来は日本国内に生息していなかった虫も増えていくだろう。「そうした中で困っている方がいる限り、病害虫から人間を守ることがわれわれの務め」だと話す上山氏。

 130年もの間、私たちの“健康”や“安心”を陰で支え続けてきた蚊取り線香は、今後もたゆまぬ努力と試行錯誤を繰り返しながら、どんな時代にも求められるロングセラーであり続けるに違いない。

※ 情報は取材時点のものです。



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