羽生結弦が「NumberTV」で告白! 偉業を支えた“揺るぎない信念”2025/05/24

Lemino®で配信中のオリジナルドキュメンタリー番組「NumberTV」。オリンピックフィギュアスケート金メダリストの羽生結弦が登場する第21話が独占無料配信中だ。
「NumberTV」は、トップアスリートたちの輝かしい“現在”と、それに至るまでの“挫折”をアスリート本人が語るリアルドキュメント。全24回の配信で、さまざまなスポーツジャンルの一流アスリートをゲストに迎え、その物語を深く掘り下げる。

4歳の時、姉の影響でスケートを始めた羽生。幼少期は、競技ではなくただ楽しむために滑っていたが、成長とともに次第に厳しくなる指導に、リンクでは泣きながら滑る日々を送った。それでも持ち前の運動神経で次々と技を身につけ、小学4年生で出場した全日本ノービス大会では、初出場にして優勝という快挙を成し遂げる。ジャンプもスピンも得意で、自身で振り返ると、この時期が一番自信に満ちていたという。
世界の頂点を見据え、2009年にはジュニアの国際大会で初優勝。10年にシニアデビューすると、わずか2年後に全日本選手権で初優勝を果たす。技術、芸術性、そして表現力のすべてを兼ね備えたその滑りは「天才」と称され、順調にシニアの道を駆け上がっていった。14年のソチ五輪で、自身初のオリンピック出場。日本男子史上初となるオリンピック金メダルを獲得し、世界の頂点にその名を刻んだ。
しかし、常に付きまとったのは、怪我との闘い。14年の中国杯、フリー直前の公式練習の中、同じリンクで練習していた別の選手と激しく衝突。頭部やアゴ、腹部、大腿部を激しく打ちつけ、しばらく起き上がることができなかった羽生の口元からは、流血が首元にまで滴った。棄権を選ばず、立ち上がってその試合を滑り切ったものの、車椅子での帰国。トレーニングもできない日々が続き、動かせない体で焦燥感だけが募る中、「ただただマイナスになっていく」そんな日々は、まさに自身との闘いだった。
また、17年11月、2度目のオリンピックが3か月後に迫った中でのNHK杯において、4回転ルッツの練習中に転倒し、右足首を負傷。棄権を余儀なくされた。以降、平昌五輪までの全試合を欠場し、「スケートができない恐怖」に再び直面。あの一発さえなければ」と、たった一度のジャンプですべてが崩れ去るどん底を味わった瞬間だった。
それでも、挑むことを諦めず、焦燥感、不安を抱えながらも、平昌五輪を完治しないまま迎えた。当時は「これが自分の最後のオリンピックだ」と覚悟を決め、その一瞬一瞬を記憶に刻むつもりで臨む。「一滴も残さない、一滴も残っていなくても足を動かし続ける」……すべての力を振り絞った羽生は、見事2度目の金メダルを獲得。偉業を支えたのは、ただ「勝ちたい」という揺るぎない信念だった。
22年の自身3度目のオリンピックとなった、北京五輪でのフリープログラムでは、誰も成功したことのない4回転アクセル(4A)に挑戦。着氷の乱れにより転倒し、メダルには届かなかったものの、史上初の4Aは大会側に認定され、競技の歴史に刻まれる結果となった。
同年7月に、羽生はプロスケーターへの転向を発表。競技の枠を超え、スケートという芸術の中で、今もなお新しい自分を追い続けている。
華やかなキャリアの裏で、何を思い、何を信じてきたのか? 壁に立ち向かう羽生を支えたものとは?


なお、5月29日配信の「NumberTV」第22話では、日本人2人目のNBAプレーヤーで、現在Bリーグ・千葉ジェッツふなばしに所属するバスケットボール・渡邊雄太選手が出演する。

【コンテンツ情報】
「NumberTV」挫折地点~あのとき前を向いた理由~
Lemino
配信中(全24回配信。月2回配信予定)
製作著作:NTTドコモ/Sports Graphic Number
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