気まぐれドキュメンタリー散歩

コラム

萩本欽一の真の姿を記録した土屋敏男監督SPインタビュー
(前編)運命に導かれて撮れた奇跡の映像

 日本テレビの土屋敏男氏が、師と仰ぐ萩本欽一さんの姿をドキュメントした初監督映画「We Love Television?」。この映画が異色なのは、萩本さんがその構想を知らずに制作が進んでいたこと。先行上映の舞台挨拶で萩本さんは「ドキュメンタリーというよりもドッキリ! ドッキリメンタリーで困ったリーだ」と発言したほど。しかし、それこそがドキュメントバラエティーを確立した男の真骨頂。そんな土屋監督に十数年ぶりにインタビュー。話は、映画の発端となった「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)」(※註)が放送された2011年までさかのぼり、それから6年にわたる紆余曲折が赤裸々に。ほかにも作品関係者との運命的な数々のエピソードなど・・・。そのすべてを余すことなく、2回にわたってお届けします。 “Tプロデューサー”、“T部長”と呼ばれていた頃と変わらぬ土屋節が全開です!

──萩本欽一さんから映画の感想はありましたか?

「今もって(この映画を)見てないです。昨日も欽ちゃんと一緒で、公式サイトに君塚(良一)さんの感想が上がりましたって読んだら、『そうか~』って。猪子(寿之)の感想は結構、喜んでいましたね。『76歳で青春か~、いい感想だな』って(笑)。いろんな所で感想は聞いている気はするけど、悪くは思っていないかな。でも、あくまで見る気はないですね。人に見られるという前提じゃない映像を見るっていうのは、ギャっと言うほど恥ずかしいと思うので。たぶん一生見ないだろうなぁ。最初の取材の時に「おまえ本当にひどいやつだな・・・」と。最初は(視聴率を)30%獲りましょう!と言って、8.3%しか獲れなかったわけだから、やっぱりそう思うよね。表向きには人が負けた勝負を、というふうに見えるだろし。でもそうじゃなくて、今でも挑戦し続けている萩本欽一の姿を撮るということなので、『そういうことか、じゃあいいか』って感じじゃないですか」

──そもそも、実際に映画化を決断されたのはいつ頃でしたか?

「映画化が具体化したのは、齋藤(日本テレビ映画事業部・プロデュサー)が動いて日活さんが、というのが1年前の夏ぐらいかな。『欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)』(2011年7月放送)を作る段階で、映画にしたいというのはあった。というのは、“30%獲りましょう! 結果は何%でした”というのを、この番組の中では宿命的に言えない。それが、番組タイトルに(仮)“かっこかり”をずっと付け続けていた理由です。本当の結果は番組では言えない。この映画で、『8.3%でした』と車の中で欽ちゃんに言うところが本当のエンディングとういうか・・・。(番組では)それを出すところがないと分かっていたから、映画で出すのが一番いいなと思っていた。で、とりあえず一回つないでみようと編集したのが10時間半ぐらい(笑)。これじゃしょうがねぇ(笑)。実はファーストカットを撮ったのは2013年の「24時間テレビ」。オープニングは不思議な絵から入りたい。空撮で、車がなぜか動いている・・・みたいな。当時まだドローンって名前じゃなくて“マルチコプター”って名前で、制限する法規もない時代・・・。『24時間テレビ』は年に1回しかないから撮らなきゃと思ったけど、2012年には撮れていない。2013年にこれを撮った。それで、10時間から8時間になり6時間にと少しずつ詰めていった。1年ぐらい前、ようやく2時間ちょっとに・・・。で、その前に2015年、欽ちゃんが(駒澤)大学に入るでしょ。これがラストカットで行けるな。でもやっぱり春がいいなと思って、翌2016年春にエンディングカットを撮る。これで頭とケツは撮れた! そこに去年の6月、何度も一緒に仕事をしている齋藤が映画事業部に異動してきて、こういうのがあるんだけどちょっと頼むよ、って。俺だってこれまで何百時間も編集に時間をかけているし、2時間くらいの現実的な尺だろう、頭とケツもあるし、と迫った(笑)。今年に入って公開日も11月3日に決まった。そしてネット番組の、ニコニコ動画とAbemaTVのカットがあるから、欽ちゃんは諦めずにまだ戦っていますよということを入れて、大学の桜! これで自分の中で終われた・・・。そこにNHK BSの番組の話が入ってきた。2017年に公開するから、これをおまけ的に“2017年、欽ちゃんはこんなことをやっています”ということで撮らなあかんと。そしたら、あんなことになっちゃった・・・」

──絶対に見逃さないでほしいという、エンドロールの後に流れる映像ですね。

「それがまさに、萩本欽一がいまだに続いている、本当に本気で物を作っている象徴的なカットになった。だから、すごく運命的なっていうか、2017年に公開すべし、という・・・。自分が怠けて6年もかかったんだけれど、映画が本格化したのは齋藤が映画事業部に来てくれたこととか、その間のいろんなトラブルもそうだけど、(公開が)決まったから本当のラストシーンは2017年に撮らせてくれるようになっていた、とさえ感じてしまう・・・。もし順調に2013年とか21014年にやっていたら、あのラストシーンはないんだよな・・・、と」

──それを聞いていると、ドキュメンタリーの神様という言葉を思い出します。

「ドキュメンタリーはまさに撮らせてもらえないと何も撮れない。それはタイミングであって。映画の中で、欽ちゃんに何かふと思ついたときに回しておいてくださいねと渡したカメラが、ある種今までのドキュメンタリーにない絵というか、そういうものが撮れてしまっている・・・。それがね、不思議なんだよねぇ・・・。3.11の夜の欽ちゃんが、自撮りでいつものサイズじゃなくて、こんなサイズでしゃべっている。ねらったかのように。もしディレクターが付いていて、3.11のあんなしゃべりの時にいつものサイズじゃなくそのサイズでと言って撮れたとしたら、それはすごいディレクターですよね。だから、これはまさにドキュメンタリーの神様がいて撮らせてくれたとしか思えないようなカット・・・」

──自撮り映像だけもいろんな発見があったんですね。それを選ぶのも大変そうです・・・。

「カメラを回し始めれば、欽ちゃんは何十分ってしゃべっている。めっちゃ難しかったです! 難しかったというか、最初分からなかった。これは何に向かって作られるものなのか。30%の奥義が分かるかもしれないと思っていたけど、ドキュメンタリーってそういうノウハウビデオでいいのか? だから、萩本欽一の顔に力がある部分だけをまずつないでみた。そしたら10時間あった(笑)。そういうことじゃないな。“奇跡”というキーワードであったりとか、そういうものを詰めながらちょこちょこ切ってきた。30%を獲るには相方が要る。だから、萩本欽一と田中美佐子のラブストーリーかなと思ってつないだところもある。それが最後に、(田中が)いなくなって・・・、ラブストーリーじゃない。軸になるのは、萩本欽一とは何か? それはやっぱりテレビとは何か?なんだ。それに対して僕らが出来ることは? お前はテレビを愛しているのか? それで『We Love Television?』っていうタイトルが浮かんだのが去年・・・、2016年初頭だったかな・・・」

──その時、映画の形が見えたということですか?

「ある程度見えたかな。“私たちはこの人ほどテレビを愛しているだろうか?” それこそがこの映画の芯なんだ。『We Love Television?』というタイトルを付けた時にようやく絞れた気がしました。粘土のヘラを使って、ちょこちょことそこに向かってさらに切っていく。もうちょっと早く切れよ、という話なんだけどね(笑)」

──それは、これまでの番組作りとは違いましたか?

「全然違いましたね。やっぱりテレビって毎週締め切りがあるし、オンエアの時、ここまでしか出来なかったな、ああしたかったこうしたかったという思いばかりで見ている。たぶんこの映画も。この間、浅草でもそう思いました。ここ、もう少し切れたな。あ、もう触っちゃいけないんだ(笑)。でも、本当にタイミングというか・・・。11月3日公開で、欽ちゃんも11日にはNHK BSで『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』(BSプレミアム)の放送がある。あの番組の続編が。さらに春以降、レギュラーになるかもしれない。すごいでしょ? 77歳でレギュラー始めてどうするの?みたいな(笑)。第何期なのか分からないけど、ひょっとしたらその途中をつなぐエンジンというか、2011年にやって2017年でさらにもう1回アクセルを踏もうとしている萩本欽一の、その間を埋めるものになるかもしれない。今って“最近のテレビは・・・”とか、否定的な言葉ばかり・・・。だけど、いやいやテレビってちゃんとこれだけ愛したら、それは愛すべき価値のあるものだと欽ちゃんが言っているんだろうなと改めて思える。それを言ってくれた作品。そういう意味で2017年、テレビにとっても大事な映画、作品なのかな。何か物を作る人すべてにということなんだけど、特にテレビを作っている人たち全員に見てほしいと思います」

──テレビ制作者以外のファンには、どんなところを特に見てもらいたいですか?

「たまたま自撮りを渡したことによって、撮れているものがこんなに撮れちゃっている。結果として面白いアプローチで撮れたし、そういうところまで撮れたドキュメンタリーとしては一種の発明もあると思う。見たことのない人間への迫り方とその瞬間があると思うので、それを映画館でどっぷりと集中して見てもらいたい。でも、やっぱり若いテレビマンに見てほしいな。何年後かに『あれを見てエネルギーをもらってテレビをやろうと思いました。僕なりにテレビへの愛情を形にしました。見てください』ってオンエアの前に知らないテレビマンからメールなりメッセージが来たらうれしいね」

 師匠に負けずとも劣らぬテレビへの深い愛情。土屋監督の語りは、時に熱く、時にしんみり、時に爆笑とテンポよく進み、この後、数々の予期せぬエピソードが明らかに。この続きは是非後編で!



※註「欽ちゃん!30%番組をもう一度作りましょう!(仮)」
アナログ放送終了を直前に控えた2011年7月22日に日本テレビ系「金曜スーパープライム」枠で放送されたスペシャル番組。欽ちゃんが常識を覆す新たなコントに挑む「新欽キングShow」を中心に、この映画でその制作過程が描かれる。


【プロフィール】 
土屋敏男(つちや としお) 
1956年9月30日生まれ。静岡県出身。1979年、日本テレビ入社。ワイドショーの現場を経てバラエティー番組制作に携わり、ディレクター・プロデューサーとして「欽きらリン530!!」(1988年)、「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991年)、「進め!電波少年」シリーズ(1992年~)、「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」(1996年)など数々のヒット映画を生み出す。現在は日テレラボ シニアクリエイターとして精力的に映像コンテンツを制作。今年春、世界初のVRドラマ「ゴースト刑事 日照荘殺人事件」をリリースした。
映画「We Love Television?」
■2017年 出演/萩本欽一・田中美佐子 河本準一・高須光聖 猪子寿之ほか
製作/日本テレビ放送網  企画・構成・監督/土屋敏男  プロデューサー/齋藤政憲  (C)2017日本テレビ放送網
*ある日、土屋敏男がカメラを伴い萩本欽一宅を訪れ、「視聴率30%を超える番組を作りましょう!」と依頼。この一言から萩本と土屋の番組作りが始まる。出演者との顔合わせが始まり、舞台コントの制作が始動。この新たな挑戦の模様の記録は、萩本欽一のエンターテインメントへのあくなき挑戦と狂気を秘めた番組制作の奥義が詰まっている。「エンドロールの後を見逃さないでほしい」と監督が強調するスゴい映像が。主題歌は岡村靖幸「忘らんないよ」。

11月3日(金)東京・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国順次公開
*詳細・スケジュールは公式サイト、または各劇場でご確認ください。
http://kinchan-movie.com/
関連リンク
師匠・萩本欽一の真の姿を記録した土屋敏男監督インタビュー
(後編)不思議な縁でつながった人たち
https://www.tvguide.or.jp/column/kimagure/20171027_02.html
視聴率100%男・萩本欽一とバラエティー番組の異端児・土屋敏男によるドキュメンタリー映画「We Love Television ?」待望のお披露目!
https://www.tvguide.or.jp/column/kimagure/20170922_01.html
土屋敏男氏が語る世界初VRドラマ「ゴースト刑事」の誕生秘話
https://www.tvguide.or.jp/feature/specialinterview/20170501/01.html
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株式会社東京ニュース通信社 コンテンツ事業局担当
1988年入社。30代から放送局担当記者に転身、後にTVガイド編集部。同副編集長、デジタルTVガイド編集長ほか番組表・解説記事製作の部門長、西日本メディアセンター編集部長などを歴任。全国各地で放送されている質の高いドキュメンタリー番組と、精魂こめて地道に番組作りに勤しむ制作者の姿に注目してきた。人生の糧となるドキュメンタリーの名作・力作の存在を、より多くの視聴者に知らせるべく、日々ネタ探しの歩みを続ける。

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