気まぐれドキュメンタリー散歩

コラム
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山口放送の名ドキュメンタリスト・磯野恭子さん逝く【後編】 独特の取材スタイルとは・・・?

 8月に亡くなった元山口放送ディレクター・磯野恭子さんのお別れの会が、先日9月3日、教育長を務めたゆかりの岩国市内で行われました。会場では、磯野さんの手がけたドキュメンタリー作品の映像が流され、その功績がたたえられそうです。

 日本を代表するドキュメンタリストの番組は、かつてNHKで放送されたこともあります。1994年8月、当時のNHK 衛星第2で「ドキュメンタリー磯野恭子の世界」が5夜連続で編成され、局の垣根を越えて地方民放局の番組が特集放送されるという異例の扱いでした(同年5月にRKB毎日放送の名ディレクター・木村栄文さんの特集もありました)。番組には磯野さん自身も登場し、その功績を象徴する5番組が連日紹介されました。当時のTVガイドの誌面には“ドキュメンタリー制作で大きな実績を残した磯野恭子さんの作品からテレビドキュメンタリーの原点を見つめ直す”と番組内容が記されおり、ドキュメンタリストとしていかに高く評価されていたのかをうかがい知ることができます。

 磯野さんは、現役の制作者として活躍中している1990年に『ドキュメンタリーの現場』(大阪書籍・刊、現存していません)という本を執筆しています。この本で、自身の代表作である以下の3つの番組の制作過程について詳細に書き記しています。
 原爆小頭症のために幼女のような生活を送る女性とその家族を取材した「聞こえるよ母さんの声が・・・~原爆の子・百合子~」(1979年放送)。
 特攻兵器「回天」で戦没した学徒兵が残したノートとその遺族を取材した「死者たちの遺言~回天に散った学徒兵の軌跡~」(1984年放送)。
 敗戦後、大陸に取り残され望郷の思いを抱いて老いていく女性たちの存在を明らかにし、一時帰国の様子に密着取材した「祖国へのはるかな旅~ある中国残留婦人の帰国~」(1987年放送)
 特に「祖国へのはるかな旅~」は、後に中国残留婦人3部作と呼ばれるシリーズの皮切りとなった磯野作品の集大成とも言われています。これらの番組にどのような思いで取り組んでいたのか、取材現場の裏側まで克明につづられていて、ドキュメンタリー制作のバイブルとも言うべき内容になっています。そして、あとがきには以下のような記述もありました。
「ドキュメンタリーとは、人間が生きるための闘いであり(中略)そこに漂う人間を記録し、問う、という闘い」「私は一筋の心の炎をその生き方に賭ける」
 磯野さんがいかにドキュメンタリー作りに全身全霊を賭け、闘い続けてきた人なのかが伝わってきます。

 前編で、「ふたりの桃源郷」シリーズを制作した佐々木聰さんと磯野さんの師弟関係について紹介しましたが、佐々木さんは上記の中国残留婦人3部作の流れを受け継ぐドキュメンタリー「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」(2015年放送)で、戦争で苦しんだ女性、とりわけ「特殊婦人」の存在を描き、第11回日本放送文化大賞テレビ・グランプリに輝くなど高く評価されました。その佐々木さんに一番印象に残っている磯野作品を尋ねました。
「『死者たちの遺言~回天に散った学徒兵の軌跡~』です。中国残留婦人シリーズは、今となってみれば分かるんですが、最初は正直、分からなかったんです。時代背景とかも・・・。『回天』の、主人公(学徒兵)の妹・(西原)若菜さんの言葉、『兄は、海底に突っ込んで死にました。(中略)私は兄が人を殺さずに死んだことを幸せに思います。人を殺すべき縁を持たずにして死んだ。いまは、それがうれしいのです』と語らせる。あれは、磯野さんの力だと思うんですね。声高でなく静かに反戦を訴えている。(この作品を)何度も観ました。取材者の知りたいという意欲と知らせたいと気持ちが、若菜さんを動かしたんだと思うんです」
 この作品では、磯野さんの最大の持ち味であるインタビューのすごみが随所にあふれ、私も佐々木さん同様、若菜さんの言葉に圧倒されました。その言葉の重みを強く感じ、思わずノートに書き留めたほどです。30年以上過ぎた今でも変わらず普遍性に満ちた答えを引き出す。これこそが磯野さんのディレクターとしての手腕なのだと実感しました。

「一度だけ、磯野さんに『行くわよ!』といって取材に連れていかれたことがあったのですが、そのことは忘れられません。それはすごいですよ! 取材者に会って普通はご挨拶して和んでから始まるものなのですが、磯野さんはすぐに単刀直入に聞いていく。それでも相手は答える。あ、すごいな、と思いました。聞きたい、という気持ちが相手に伝われば、なんですかね・・・」
 磯野さんを知る人(佐々木さんも)がよく使う「艶のある声」で畳み掛けるようにグイグイ聞いていくのが磯野流。前編で触れた書籍『テレビドキュメンタリーを創った人々』の磯野さんの章には、その独特のインタビュースタイルが詳しく紹介されていますが、実際に体感した佐々木さんからその印象を聞き、より鮮明に納得することが出来ました。自分は磯野さんのスタイルではないと、自己分析していましたが、その経験は何物にも代えがたいものなのだと推察します。「ふたりの桃源郷」とともに、「奥底の悲しみ~戦後70年、引揚げ者の記憶~」(2015年放送)では海外でも高い評価を得るなど、既に磯野さんの後継者にふさわしい目覚ましい活躍につながっているわけです。

「ドキュメンタリーを作り続けていくことが恩返し。歯を食いしばって頑張って作り続けていきたいと思います」という佐々木さんは、いくつかのシリーズ企画の取材をコツコツと続けることで、磯野さんが教えである「作り続ける」ことを実践しています。また、取材対象者に真に寄り添いながらドキュメンタリーを作ってきた磯野さんのスタイルも踏襲しています。それこそが磯野さんが築き上げてきた「山口放送のドキュメンタリーの世界」。是非それを継承、発展させていってほしいと思います。


磯野恭子ディレクター代表作品
「聞こえるよ母さんの声が…~原爆の子・百合子~」  
山口放送 1979年11月9日放送
■ナレーション/此島愛子 取材・構成/磯野恭子 企画/岩田幸雄 制作/吉田徹
*母親の胎内で被爆し原爆小頭症になった百合子さん。母は1978年12月に他界。終戦の2カ月前に出征して被爆を免れた父親と幼女のように生きる娘の生活を描く。母の死後、百合子さんが墓に耳を寄せ、母の声を聞くかのような姿が見る者の胸を打つ。その様子をカメラでとらえた時、番組のテーマとタイトルが決まったのだという。第34回芸術祭賞大賞など。1996年には「NNNドキュメント’96『シリーズ51年目の夏に③“原爆の子”百合子50歳』」が続編として放送されている。
「死者たちの遺言~回天に散った学徒兵の軌跡~」  
山口放送 1984年6月24日放送
■ナレーション/伊藤惣一 此島愛子 取材・構成/磯野恭子 企画/岩田幸雄
*戦争末期、日本海軍が特攻兵器として開発した人間魚雷・回天に乗り込み、訓練中に事故死した学徒兵の足跡を、肉親あてに残したノート、家族や戦友の証言を元にたどる。戦争と平和、そして命について考えるドキュメンタリー。第39回芸術祭優秀賞、第22回ギャラクシー賞、放送文化基金賞本賞など。
「祖国へのはるかな旅~ある中国残留婦人の帰国~」  
山口放送 1987年6月26日放送
■制作/山口放送・民間放送教育協会 ナレーション/伊藤惣一 此島愛子 取材/岩田幸雄 磯野恭子 城菊子 構成/磯野恭子
*終戦直後、祖国と関東軍とに満州開拓国(現在の中国東北部)に置き去りにされた婦人たちが中国で悲惨な生活を送ってきた。そんな残留婦人の日本への一時帰国の様子を追い、いまも深く残る戦争の傷跡を浮彫りにする。第1回民教協スペシャル作品として放送された。「いま松花江に生きる~中国残留婦人~」(1987年)、「大地は知っている~中国へ残された婦人たち~」(1992年)と合わせ、中国残留婦人3部作とも呼ばれている。第3回文化庁芸術作品賞、「地方の時代」映像祭1988優秀賞など。


※上記作品ほか磯野恭子さんが手掛けた15本の番組が放送ライブラリーで視聴できます。
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Y・I
株式会社東京ニュース通信社 コンテンツ事業局担当
1988年入社。30代から放送局担当記者に転身、後にTVガイド編集部。同副編集長、デジタルTVガイド編集長ほか番組表・解説記事製作の部門長、西日本メディアセンター編集部長などを歴任。全国各地で放送されている質の高いドキュメンタリー番組と、精魂こめて地道に番組作りに勤しむ制作者の姿に注目してきた。人生の糧となるドキュメンタリーの名作・力作の存在を、より多くの視聴者知らせるべく、日々ネタ探しの歩みを続ける。
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