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山口放送の名ドキュメンタリスト・磯野恭子さん逝く【前編】 「ふたりの桃源郷」佐々木聰監督との師弟秘話

 去る8月2日、山口放送のディレクターとして数多くのドキュメンタリー番組を手がけた磯野恭子(やすこ)さん(享年83歳)が亡くなられました。以前、ここで紹介したNHK放送文化研究所編『テレビ・ドキュメンタリーを創った人々』の中でただ一人、女性ディレクターとして掲載されている、ドキュメンタリストとしての第一人者です。この著書で、磯野さんの章を担当した元日本テレビの水島宏明氏(現在は上智大学教授)は、ご自身がかつて携わった「NNNドキュメント」の、“歴代最高ディレクターの一人を挙げるとすれば、磯野恭子と答える”と記しています。また、東海テレビの阿武野プロデューサーも「私の個人的なイメージですが、ドキュメンタリーの世界では、映画は羽田澄子さん、テレビは磯野恭子さんが女性のパイオニア。女性のドキュメンタリー制作者は、磯野さんの存在にどれだけ励まされたか想像できないほどだと思っています。ただでさえ、ドキュメンタリー制作者は孤独な上、女性制作者が希少な時代でしたから、まさに草分けです」と語る存在。そんな彼女を尊敬して山口放送を目指した人も多く、実際に彼女の活躍に憧れて入社した人を身近に知っています。

 磯野さんは、1959年に現在の山口放送(当時はラジオ山口)に入社。アナウンサーを経て(正確には当時、女性にはアナウンサー職の採用しかなかったようです)希望だった制作へ異動も、初めはラジオのドキュメンタリーからでした。それからテレビ・ドキュメンタリーの制作へ移ると、すぐに頭角を現します。彼女の代表作ともいえる’79年の「聞こえる母さんの声が・・・~原爆の子・百合子~」で文化庁芸術祭大賞やベルリン未来賞(’81年)を受賞したのを皮切りに、被爆、公害、中国残留婦人などをテーマに数多くのドキュメンタリーの秀作を残してきました。’88年には、民放の女性社員として初めて取締役に就任。その後も、岩国市の教育長を務めたほか、番組で関わった中国に残された女性の帰国を支援した中国残留婦人交流の会の会長も務めるなど、活躍の場は多岐にわたりました。

 山口放送といえば、映画「ふたりの桃源郷」の大成功を思い浮かべる方も多いと思いますが、その監督を務めた佐々木聰さんは入社後の6年間は当時、制作局長だった磯野さんの下、報道記者として仕事を学んでいました。「6年間に言われたことは今でもよく覚えています。その時に言われたことを時々反すうします。とにかく作り続けないということを良く言われました。止まっては駄目だと。そのことが今になるとなんなく分かります」。

 そして、佐々木さんが映画化した「ふたりの桃源郷」にも磯野さんと佐々木さんの接点がありました。この映画は、山口放送が25年にわたって山口県内の山奥に暮らす田中虎夫さん夫妻の取材を重ねて完成したものですが、そのルーツをたどると取材を始めた当時の初代プロデューサーが磯野さんでした。入社前にこの番組を見ていた佐々木さんが、後にあの老夫婦は今、どうしているのだろうと思い、初代ディレクターからバトンを受け継いで、一時期止まっていた取材を再開。’02年から’13年にかけて番組シリーズ化され、この映画へとつながっていきました。「7年間取材が空いているときに一度、磯野が、山(田中夫妻宅)を訪ねているんです。近くまで来たので立ち寄ったらしいのですが。僕が取材で初めて行ったときにその話を聞きました」

 磯野さんは’01年には山口放送から離れましたが、佐々木さんとの交流はその後も続いていました。「『ふたりの桃源郷』(番組として)が復活したときは、手紙でたくさん書いてありましたね。『力が入りすぎなくて構成が良かった』『テーマがちゃんと言えていたね』『いい仕事したね』など。そういうときは良くやった良くやったと褒めてくれるんで。番組を作るたびに観てもらっていました」

 佐々木さんと磯野さんのつながりは、先日8月13日に放送された「NNNドキュメント’17『弾除け神社~奉納写真 2万枚の思い~』」でもありました。この番組のルーツは、磯野さんがディレクターとして取材、構成を務めた「戦後40年シリーズ ドキュメンタリー 写真の中の日本人」という’85年の番組でした。先日放送した「NNNドキュメント」の中でも、その’85年の番組シーンが冒頭で使われていて、磯野さんがインタビューしている映像もわずかですが登場しています。戦時中、〝弾除け神社“と呼ばれた山口市内にある三坂神社。2つの番組は、宮司・佐伯治典さんが神社に奉納された写真を返そうという地道な活動している様子を30年以上の時を越えて紹介しています。元の番組では、磯野さんが佐伯宮司から託され、地方まで出向いて写真の持ち主を訪ねる姿がありました。今回放送された番組でも、取材にあたった松嶋浩ディレクターが、かつての磯野さんのように写真の家族を訪ねる様子が描かれています。佐々木さんはこの番組でプロデューサーを務め、磯野さんが取り組んだ取材を受け継ぎ、さらに大切な写真を家族に返そうというその思いも引き継いでいました。終戦記念日に合わせて編成された今回の「NNNドキュメント」は、奇しくも磯野さんの訃報から翌週の放送に。あまりの突然の出来事で佐々木さんほか番組関係者にとって予期せぬ追悼になってしまったのでした。


 佐々木さんが「お母さんのような人でした」と慕い尊敬する磯野恭子さんのドキュメンタリストとして功績はまだまだ紹介しきれません。主な代表作とともに次回、後編で引き続きお伝えします。

映画「ふたりの桃源郷」
■山口放送 ナレーション/吉岡秀隆 監督/佐々木聰
*山で暮らす一組の夫婦と、2人を支える家族の姿を25年にわたり追い続けたテレビドキュメンタリーシリーズを映画化。数々の賞を受賞し、テレビ放送時からファンも多い。夫婦値は、家族とは、生きるとは、見る人それぞれの桃源郷。現在も全国各地で上映会など続いている。
*磯野恭子さんは取材を始めた当時のプロデューサー。初代スタッフが約3年取材。7年間のブランクを経て、佐々木監督が再び山に通い取材を再開、ローカルニュースで何度も放送される。2002年以降、度々番組化され人気シリーズとなった。
上映スケジュールなど詳細はHP参照
http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/index.html
「NNNドキュメント‘17『弾除け神社~奉納写真 2万枚の思い~』」
日本テレビ系 2017年8月13日放送
■山口放送制作 ナレーション/中里雅子 ディレクター/松嶋浩 プロデューサー/佐々木聰
*戦時中、〝弾除け神社″と呼ばれた神社が山口県内にあった。「戦地に行った肉親に弾が当たらないように」と家族が写真を奉納していたという。全国各地から奉納された写真は約2万枚。神社はこの写真を返そうと努力を続けている。その思いを知るためにスタッフも写真の家族探しに乗り出す。
*1985年に放送された「戦後40年シリーズ ドキュメンタリー 写真の中の日本人」を再取材して番組化。当時の番組プロデューサーは同局の岩田幸雄社長で、磯野恭子さんがディレクターとして取材・構成を担当。宮司や写真の持ち主にインタビューする磯野さんの姿が度々映し出されている。同年4月にも「NNNドキュメント’85『シリーズ戦後40年 8000枚の写真から』」として全国放送された。

写真提供=山口放送
(磯野恭子さんの肖像写真のみ)

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Y・I
株式会社東京ニュース通信社 コンテンツ事業局担当
1988年入社。30代から放送局担当記者に転身、後にTVガイド編集部。同副編集長、デジタルTVガイド編集長ほか番組表・解説記事製作の部門長、西日本メディアセンター編集部長などを歴任。全国各地で放送されている質の高いドキュメンタリー番組と、精魂こめて地道に番組作りに勤しむ制作者の姿に注目してきた。人生の糧となるドキュメンタリーの名作・力作の存在を、より多くの視聴者知らせるべく、日々ネタ探しの歩みを続ける。
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